病院の地下に司令室があったのか?
私はこの話題が出始めたときから、国際法がどうであれ、ほとんど興味がないのは、その地を実効支配している組織の司令室や様々な軍事的施設がガザに張り巡らされている地下通路のどこにあろうが、ガザ市民に場所を決める権利などあるわけもなく、ほとんどの一般市民にとって、「地下にガザの司令室があろうが知ったことではない」だが、「病院も学校もガザ地区の住民にとって当然必要」という、事実のほうが重要だからだ。
まともな病院や学校、使える施設があれば、ガザの住民はそれを使うしか無い。そしてその施設を、世界の様々な善意の団体が支援しているのも明らかであり、地下に何があろうが気にしている余裕なんて、ガザの住民にも、ガザで人道支援する人にもあるわけがない。
少なくともガザ地区の住民は、自分たちがハマスの軍事部門の盾になっているなんていう意識は全く無いだろう。盾になっているのがダメなら、じゃぁ、それを批判する人たちは、代わりのインフラを提供してくれるのかということである。
居住する地域を壁に囲まれ、流通や移動を著しく制限され、他国からの支援がなければ生活できないガザでの暮らしは、他国の一般市民は想像するしかなく、生きることに前向きな意味を見出すだけでも、どれほど困難か、私達の多くは想像はしても本当には理解できないだろう。
大震災の時、古くはヤクザ、(任侠だとか言いたい人は言うがいい)、指定暴力団、と呼ばれる組織の一員が、炊き出しを行ったり、食事を届けたりするのが美談のように語られていたが、現地の人にとっては届けられたら感謝したであろう。
中には、「なんだ、いい人たちじゃないか、頼れる人たちだ」と思う人も多かっただろう。
また様々な、避難民救助や支援を目的とした団体がやってきて活動を行う中に、怪しい団体は常にあるだろうが、被災地の人たちは、いちいちどんな団体か詳しく調べたりできないだろう。それでも必要なインフラを整えてくれ、あるいは、支援物資を与えてくれるなら、どれほど不正が行われていようが、被災民にとって救いの手なら、それを断れると思えない。
つまるところ、人は本当に窮地に陥った時、自分達に手を差し伸べてくれる集団なり人なりに、まず共感を示すし、窮地にない一般市民の客観的な善悪など判断する余裕はない。
そんなのは、彼らが窮地から脱して、それが考えれるだけの余裕と、未来に期待ができる普通の生活があって初めて可能であろう。
それらを提供できないばかりか、彼らをこの状況に追いやったイスラエルに対して何ら有効で具体的な抑止ができない国連が過去に定めた、国際人道法における例外規定の正否を問題にするなら、そもそも国際社会の犠牲者である、パレスチナの人々を、世界が、そして国連が責任を持って救うべきだろう。