私が思う、本当の弱者の話をしよう

私にとって、ほとんど価値を感じない時事ネタであっても、そこから何か気になること、大事と思えることを探す気さえあれば、何か見つかるものだ。結果的に以前からお気に入りに入れていて忘れていた上の本をついに購入し、読むことができたから、私にとっても、牛角騒ぎは無駄ではなかったのだろう。

弱者だ、差別だと聞くと、何よりも私は、戦争による被害者や、子供や高齢者、病気や障害を持つ人たち貧困抑圧が頭に浮かび、次は、この国の大人たちによる、逃げ場のなくなった未成年への、様々な暴力が頭をよぎる。

それが親近者だったり、教師からの、本来彼らを守るべき者たちからの、その立場を利用した暴力だったりすると、まさしく腸が煮えくり返り、いたたまれない気持ちになる。

差別と聞くと、より強いもの、明確な強者から、弱い者への不当な暴力とか、言葉による誹謗中傷真っ先に浮かぶ。もちろん、それ以外の見えづらい差別もあるのだろう。 おそらくコロナ前後からか、もっと前からなのか知らないが、弱者成人男性という、新たなカテゴリーで語られる人たちが、苦しんでいるのに誰も救おうとせず無視されている対象として定義され、それを可視化したり論じたことで、知名度を得たライターや、言論人がいるんだなと、今回の騒動で初めて知った。

もしも、彼らのいう弱者男性本当に弱者(かつ成人)と考えるなら、私は単純に、何らかの政治活動や、権利を要求し改善を求める団体を、彼ら自身で作って戦うべきだろうと思う。

少なくとも五体満足な成人男性なら、それをするだけの力は十分にあると思う。そして、そんな彼らのお気に入りは、維新や、自民の保守派と呼ばれる人達に思えるので、なるほど、これだと自分とは考え方や価値観が全く違う、新たな弱者達なのだと感じた次第だ。

今は素直に、そんな弱者男性のことを理解し,共感してくれる、ライターや言論人youtuberがいてよかったじゃないかというのが、私の勝手な感想だ。

おそらくフェミニストが女性の権利の向上のために戦うように、彼らも彼らなりのやり方で、弱者男性の権利や地位を押し上げようとしているのだろう。そして私のような人間は、自分が感じる差別や貧困、よりわかりやすい社会的弱者であり、不当な差別を受けていると感じる人たちにこそ、自分の問題意識、ベクトルを向け続けることだろう。

つまるところ、弱者男性の問題を、社会が解決すべき課題の何番目に置くかは、あくまで人それぞれであり、たとえそれが人によっては最後にきたり、問題の対象外だったところで、何らほかの問題(そして、例えばフェミニストにとっては、女性への差別が、あるいは私にとっては、未成年や病人、高齢者が貧困から少しでも脱出できるように)を解決しようとする、それぞれの問題意識に基づく運動や行動を、否定されるいわれも全くないだろう。もちろん、その逆で弱者男性の問題こそ重視する人たちがいるのと同じであろう。

(無理に交わる必要もないし、敵対する必要も、本当はないのだろう。だが私は民間企業による女性半額サービスを絶対に否定しない。それが弱者男性を生み出す原因とは全く考えないからだ)



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