コメントで意見を足されるのは、対応に手間がかかるから嫌

リンクを張って説明するのも、その方への宣伝、応援になってしまうので、(多分それも目的だろうと感じたから)それにはもう乗らないけど。本人の意図まではわからない(悪意は全くないのだろう)が、私はそれについて反論する必要があると感じ、そのため、自分の他の創作時間を今使ってるので、あまり気分はよろしくないのである。

どんな政党を支持するか、どんな政治家を選ぶべきか、あるいは選ばないか、また、特定政治家のダメなところなどなど、SNSやここで政治的意見や主張を書いていると、「いやいや、そんなこと書いてるなら、お前が出ろっ、あるいは誰か政治家を具体的に応援しろ」と感じる人も、当然いるだろうし、コメントされることもあるかもしれない。私は今回が初めてだったが、そういう意見は普通にあるのだろう。

だが、私が政治にかかわる方法は、それこそ、今の法律が変わり、たとえば選択性自動抽出による議員枠でもできない限り、あるいは本当に自分が追い詰められて、これは被選挙権を行使するしかないと考えない限り、たぶん一生決まっていて、自分は選挙権は行使するが、被選挙権は行使しないと思う

選挙以外なら、自治体や政府が求める、意見募集などは自分にとって大事と感じるものは積極的に意見を表明するだろうし、今はSNSなどを通じて、賛同する社会活動には、寄付したり署名するのは、とても簡単であり、時たま私も利用している。

あとは、まさしく、こちらやSNSで自分の考えを表明するぐらいだろう。それが私の決めた、私の政治への関わり方である。特定の政治家、政党を支持したり支援するのは、今までもやってきたし、今後またするかもしれないが、今はする気がほとんどない。それが、自分の今の考えではある。

なぜ、こんなことをだらだら書いているかというと、被選挙権をもしも行使するなら、それは私が決めるのではなく、他者がとっくの昔に私にそれを求めただろうし、そして周りがそう動くだろう私は思っている。もちろん、私自身が、まったくそれを望んでいないのも理由ではある。

おそらくだが、政治家になりたいと思ったことが、たぶん人生において一度もない。なぜなら、政治家とは人の上に立つ職業だと感じるからだ。つまりそれにふさわしい人がなるべきで、自分はそうであるつもりも、そうであれるとも思わない。つまり、なれるだけの素養があり、あるいはそう努力できる人がなるべき職業であろう。
たとえば、私が支援したいと思って、たぶんお勧めできるのは、このような人物だ。

一見冗談めいている、くだらないと思われても、私はかなり大真面目に上の記事を書いている。

残念ながら、彼は大阪に来ていただけないだろう(当然か、残念だ)また、大阪市民、府民が、彼を本当に支持するかは、私は自信がない。私はもちろん支持するのだが。

そして、政治について意見を書くよりも、選挙に自ら出ろ、あるいは選挙に出た人を具体的に支援し、支持し、それをネットで表明しろという意見は、主張されるだけでなく、それを求めるのが正しいと考えられるなら、むしろそれは危険だと思う。

そのような社会とは、ほとんどの有権者政治について、選挙について、日常のことのように語れなくなるのではないか?だから私は、政治家や政治について語るなら、選挙に出るべきである、あるいは特定の政治家、政党を支持し、サポートすべきであるという意見は、悪とは思わないが、支持しない。それを私の選挙権に対する意見に、足したいとは絶対に思わない。

そして、私にそのようなコメントをしてしまった方が、政治家を志しているという事実が、多くのなりたい人にとっての、永遠の悩みであろう、「なりたい自分と、今の自分」を客観的に見て何が自分に足りないのかと、己を見つめなおすことの重要さを表していると思う。

私が思う政治家とは、支援してくれと、押しつけがましく主張するのではなく(自分の記事にでも書いておけばよいし、書いているのならそれで十分だろう。誰でもそれぐらい読んでいるのだ)お願いしなくても、周りがその人を押したくなる、支援したくなると、その人の言動で思わせなければいけないということだろう。

政治家になりたいのは私ではなく、政治家になるために、支持や支援を期待しているのも私ではないのだから。