戦前の政党政治はなぜ短命に終わったのか。
関東軍が進める満州国建国に反対であった犬養首相が、海軍青年将校
に撃たれ死去し、犬養内閣は倒れた。
その後、斎藤実首相の挙国一致内閣ができ、この時点で政党内閣は終わってしまう。
この時期政党内閣が続いたのは1924年から1932年までの約8年間だった。
この時期は25歳の男子全員に選挙権が与えられた普通選挙が実施された時期である。
大衆デモクラシー段階に突入した時の日本社会は、人口構成から見るとまだ農村的色彩も色濃く残っているが、新聞を中心にしたマスメディアの影響力はすでに非常に強かった。
この時期の政党政治にどこに問題があったのか。
筒井氏は4つの問題点を挙げている。
普通選挙による大衆デモクラシーが始まった、まさにその時政党政治もスタートした。
政党政治は様々なところでまだ未熟であった。
それに対し、買収や不正な政治資金の融通はもってのほかだが、マイナス面ばかり強調し、反対党との競争に勝つための様々な方策にも「党利党略」だとして批判の矛先を向けるのは問題であった。
自由で民主的な政治は議会政治であり、議会政治は政党政治である。
できるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない。
その面で国民も、そしてマスメディアの責任も大きい。