「喧嘩両成敗」と日本の民衆
「自壊する『日本』の構造」から「日本的ナルシシズムという構造と自壊」(堀 有伸著)は、日本社会の持つ傾向を、精神分析の概念を援用して分析したものだ。日本文化を貫くアンチ・ロゴス主義を、歴史を通じて振り返っている。
その中で筆者が興味を持ったのは「喧嘩両成敗」だ。
ケンカをした両者に対して、その正否を論じず同等の処罰を与えるという法であり、外国ではあまり例がないようだ。
問題となるのは、喧嘩両成敗の発想では事態の真相解明を突き詰めず、介入のための原理原則も明らかしない。
その場に関わった人々の情緒的な納得感を醸成することが、主たる目的になる。
つまり言語を介さない情緒やイメージが優位の精神性と相性のよい法制度である。
この経過において、前近代的なムラ社会・郷党社会の掟(そこには、道徳・倫理・政治・経済・教育等のあらゆる生活の要素が包含されている)が、国家運営の根本的な原理として運用された。
それが成文化したのが、1890年に発令された教育勅語である。
それ内容はほとんどの人にとって納得しやすい内容である。
しかし、藤田省三によると教育勅語の制定が、さまざまな地域で頻発していた係争を収めるという政治的な目的で行われ、近代的な批判精神を抑える意図があったという。
ここには西洋から受け入れたくない個人主義を排除したい明治政府に脈々とつながる考えがある。
これは「喧嘩両成敗」に内在していた、「論理」や「法」を排除する前近代的なモーメントが、明治政府という近代国家の統治手法の中枢に据えられたことを意味した。
現代でも1974年の田中角栄首相の退陣後に大平正芳・福田赳夫両氏の争いが激しくなった際に、弱小派閥に所属していた三木武夫が首相となった状況で喧嘩両成敗の思考法が働いたといわれている。
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