花束の中に
これが2024年3月上旬にtiktokへと投稿した「花束の中に」の歌詞だ。
時期ということもあり、卒業ソングのつもりでサビだけを制作した。ちょうど私自身も、周りの環境が大きく変わる節目ということもあったため、前半のフレーズはすんなりと出てきた。
祝福の手向けとして渡されるそれの中に、私は名残惜しさや寂しさを多く感じてしまうタイプだった。90年代初頭の打ち込み系ポップスのサウンドを多用してみたことも、そういったアンニュイな感情を引き出すことに寄与してくれたのは確かだ。
後半のフレーズでは対称的に、未来のことを歌っている。これは当曲だけでなく、そのほかの私の楽曲全般に言えることだが、私は音楽を通して、私自身の気持ちを形にしている。この営みは今後も続けていくつもりであるため、私が自身の思いや考えを歌にし続ける限り、瞬間瞬間の気持ちを断続的に形に残していくことができる。それはきっと、歌にでもしなければ忘れてしまうような瑣末な感情ばかりだろうことは確かだろう。それだけに、私は歌うことをやめたくないのだ。
そんな風に、大枠となるテーマが異なる前半部と後半部を繋ぐ役割を期待して忍ばせたのが、いくつかの韻である。
何度も/安堵を/ちゃんと/感情
の箇所は分かりやすくあるが、そのほかにも詩全体にリズムを持たせるために
なりたくて/なれなくて
(明)かりじゃ/明日
桜散って/夏が来て
と、韻律には重きを置いている。この曲を気に入ってくれた誰かが、ふと口ずさんでみた時に、少しでも心地良く歌ってもらえるようにという祈りを込めて。
だから、この曲は私自身のことを歌っているのと同時に、思い出を積み重ねながら前へ前へと歩みを続けている多くの人へ向けた曲でもあるのだ。未来とはただ眩いだけのものではなく、ときに暗く不安な情景を覗かせる時もある。そんな時に、前へ一歩を踏み出す勇気を花束の中に見つけられたなら、もうちょっと頑張ってみようかと、そう思える気がするのだ。
それゆえ、より多くの人に寄り添える曲になってほしくて、私は当楽曲の中では一度も一人称を使用しないことに決めていた。
11月の半ばと、シングルの方は卒業シーズンとはややかけ離れたタイミングでのリリースとはなったが、「花束の中に」がリスナーのふとした時のお供になってくれるような、そんな曲になれていたら、こんなにも嬉しいことはない。
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