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『AM/PM』アメリア・グレイ/松田青子訳/さみしい、と堂々と口に出すことのできる人は、今この世界にどれだけいるだろうか。


去年古本イベントでピンときて購入して以来、長らく読めていなかった一冊。スイミングの送迎の待ち時間に読もうとカバンに何度も忍ばせておいたが、ぱらぱらとめくってはすぐに本を閉じた。がやがやと騒がしい場所で読める本じゃまったくなかった。夜のみんなが寝静まっているであろう、深い時間帯に、たったひとりで読むことですらすらと読み進められた。120の掌編は、共感などとは程遠いようで実は近いかもしれない、物語。

抜粋して少し紹介。


健康的に一日を過ごす方法。毎朝一杯の油を飲む。限界まで背伸びをする。猫は温かいタオルで拭いてやる。自分の得意分野よりも大きな哲学思想を考えに入れる。癌にならない。間違った選択は他人のせいにする。父親を気にしすぎない。目をぎゅっと閉じて開いたら、あなたは記憶喪失になっています。周りにあるものから自分の人生を創作してみよう。禁煙、禁酒、禁詩ヽヽ


冴えない人生は美しくはないけれど、少なくとも詩的ではある。


ヘイゼルは彼女の中にある何かを表現する必要を常に感じていた。年を取るごとに、誰もが同じ気持ちを抱えているということ、そしてその自己表現の必要は共同体へのささやかな欲望から生じていることを学ぶ。しかし、分別のある人たちはその気持ちを忘れるか、それについて話すことに倦んでいる。厄介な知人の噂話をすべて話してしまい、友人同士、こう考えながら、テーブル越しに見つめ合っている時みたいに。さて、どうしたもんか。


フランシスは三食すべて魚を食べた。
日々が過ぎ、彼女はよりシンプルに魚を食べるようになった。魚だけを。彼女はドアに背中を向けぽつんと食べ、魚はスパイスやソースなしで皿にぽつんとしていた。彼女は米や野菜を調理するのをやめた。魚を食べる前に水を一杯飲み、後でバーボンを一杯飲んだ。
友人たちはいつになったら夕食に招待されるだろうかと口に出さずに思い、そのうち口に出しはじめたが、彼女はいつもはぐらかした。
彼女は「ごめん、一人分の魚しか解凍してないの」と言ったりした。
友人たちに先の予定を立てるよう言われると、フランシスは混乱したように見えた。友人たちは、彼女が嫌がっているのだと結論づけ、連絡するのをやめた。繊細な人たちばかりだったからだ。彼女もまた繊細で、なぜ彼らが連絡してこなくなったのかわからなかった。


<訳者あとがきより>

さみしい、と堂々と口に出すことのできる人は、今この世界にどれだけいるのだろうか。人間関係や恋愛関係を築くことの難しさや不確かさ、孤独や絶望がデフォルトであることを知ってしまった現代社会で、さみしい、悲しい、つらい、と叫んでも、物語性は生まれない。誰も真面目に耳を傾けてくれない。それはもう当たり前のことだからだ。
けれど、じゃあ自分の胸の中にある確かな気持ちをどうしたらいいのという時に、ある瞬間、人々は無意識に、”普通”から少しずれた、変なことをしたり、口に出したりしてしまうことがある。側から見ると脈略や意図が不明だったとしても、それはその人にとっては、人生に抗おうとする、決死の瞬間だ。
そしてそのギリギリの瞬間を、アメリア・グレイは見逃さない。
この少し変わった作品集の中で、人々は日常を生き、出会いと別れを繰り返す。
「生きることは厳しく、可笑しく、そしてとてもひどいことです。死への行進のようなもの。肉体の衰えも恐ろしいことだし、私たちは人生を笑ってやらなければいけない。痛みからユーモアは生まれるんです」
あるポッドキャストにゲスト出演した際、グレイはこう語っている。
残酷さと優しさ、そして無常観が共存する彼女の作家性は、現代社会に閉塞感や居心地の悪さを感じながら生きる人々に、とてもフィットするものだと言える。
「物理的な空間は、私たちが置かれた精神的な状況を表しています。私の作品の登場人物たちは、様々な理由で囚われていると感じている人たちです。私は物語の中で、人々の置かれた状況がいかに内面世界を反映しているか、見せているのです」
逃れることのできない自らの体を、逃れることのできない世界を、この不思議は一体全体なんだろうと、目をそらさずに見つめ続ける行為が、生きるということなのかもしれない。そしてそれが「私の世界」を生み出すのだ。


むかしある人が、浮浪者とすれ違ったときに、「私もこの人と同じだ」とシンパシーを感じた、と言っているのを聞いて、そうだ、と思ったことがある。ごく普通の人に見えたとしても、世の中の主流じゃない人間なのだと
感じることがある。そこで世界と自分を切り離したくなるが、それではおもしろくない、それで終わらせたくない、と客観的に観察してみる。アメリアのいうとおり、痛みからユーモアが生まれる瞬間がくる。人間のさみしさは、自分を置き去りに生きる行為からやってくる。だからわたしはそういう人たちのことを書きたいし、読みたいのだ。




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たみい
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