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【短編小説】らくのこと




毎日毎日、泣きながら小学校から帰ってきた。くせが強い髪のことや、おでこのホクロを同級生に馬鹿にされるのだ。
「くるくるぱーやな!」
「よっ!奈良の大仏!」
主に男子が私の容姿を馬鹿にして、お腹を抱えて笑っていた。
女子たちはそんなこと言ったらあかんよーと言いながら、だけどくすくす笑っていた。
私は顔を真っ赤にして、背を丸めて、うつむいていることしか出来なかった。
心はぐちゃぐちゃだ。
その気持ちを誰かにどう伝えていいのかも、わからなかった。
家に帰ると、決まっておばあちゃんがおやつを出してきた。
「おかえりい。今日はおはぎやでえ。お彼岸やからなあ。さあ、お食べ。」
悔しくて、悲しいのに、腹はすく。
おばあちゃんの作るおやつは、いつだって全部頬張った。
「らくちゃん、あんこが口べったりついとるよ。急いで食べんでもええ。ゆっくり食べたらええんやで」
それでも、私はおやつを飲み込むように食べるのだった。

中学になると、男子よりも女子からの嫌がらせが続いた。
毎日靴箱には、画鋲と大仏顔かわいそー、とか、よくそんな顔で毎日学校来れるな!と書かれたぐちゃぐちゃのメモが入れられていた。
私は黙ってそのメモと、画鋲を封筒に入れ、静かに鞄の中へしまった。
学校では誰も話す相手がいないので、暇だった。
授業中だけが、生きた心地がした。
女子からの(だいたい見当はついている)嫌がらせは、日毎にエスカレートしていき、教室では透明人間のように扱われ、心は限界値まで達していた。
最初は帰り道でしくしくと泣いていたが、しだいに泣くことすら忘れるようになった。
感情を忘れ、無表情で、帰宅する。
「おかえりい。今日のおやつは、冷やしぜんざいやでえ。お食べえ」
いつものように意気揚々と、おばあちゃんはおやつを用意する。
漆塗りのお椀にたっぷりと入った冷やしぜんざい。
私は椅子に腰掛けて、しばらくそのぜんざいを見つめてから、そのお椀を勢いよく床に投げつけた。
小豆と、甘い汁が、床に飛び散る。
こんがりと焼かれた餅が、しずかにぽとりと落ちている。
おばあちゃんは目を丸くして、一瞬息を飲み込んだが、黙ってその散らかったものを片付け始めた。
私はただ、手を震わせながら、おばあちゃんの丸まった背中を見つめた。呼吸が浅くなる。
居間でゲームをしている弟が、暴風警報発令!暴風警報発令!と叫んでいるのが聞こえたが、無視した。
雑巾でぴかぴかに床を拭き終わってから、おばあちゃんはゆっくりと椅子に腰掛けた。
「なあ、らくちゃん。らくちゃんのらくは、楽しいいう字を書くんやったなあ。らく、たのしい。ええ、名前や。お父さんにええ名前付けてもろたなあ。
らくちゃんは、楽々に楽しい方を選ぶんやで。
名前の通りに。
辛くて悲しいことは、選ばんでもええ。
楽しい方を選んだらええ。
おばあちゃんの名前は幸子やろ?しあわせな、子や。
むかしはなあ、どこが幸せな子なんや!不幸ばかりや、いうて親を恨んだけどなあ、ある日から、あ、そうや、幸せな方を選べばええんや、と思って、そうして生きてみたんや。
どないなったと思う?あんまり喋らんけど、優しいおじいちゃんに出会って、あんたのお父さん、大吉が生まれたやろ。
ほんで、大吉はあんたのお母さん、和子さんと出会って、あんた、らくちゃんが生まれたんや。
あんたの弟、がくちゃんも生まれた。
こないに幸せなことはないやろう?
おばあちゃん、あの日から、人生生まれ直ししたんや。
迷ったら、幸せな方を選ぶ。
幸せになる方を選ぶ。
だから、幸子なんや。
その日から親に感謝や。
せやから、らくちゃんも、楽で楽しい方を選んだってええんやで」
そう言いながら、おばあちゃんはゆっくりと時間をかけて日本茶を淹れてくれた。
ほんのり塩みと甘い味がした。

翌朝、黒い無地のTシャツの背中に、白いマーカーで、
I am a DAIBUTSU GIRL
と書いて、それを着て登校した。
教室に入る前から、話題騒然だった。
私は誰の顔も見ず、ただ真っ直ぐと、2PACとThe Notorious B.I.Gの『Runnin'』を脳内で爆音で流しながら、前を見て廊下を歩いた。
私を見て振り返るやつらの動きがスローモーションに見え、世界がゆっくり進んでいるように感じた。
案の定、昼休みに職員室に呼び出された。
指導の陣内先生が、おーこっちこっちと手招きして、私が椅子に座ると、顔を近づけて小声で言った。
「おまえ、おもろいやないか。大仏ガールって。どんな発想やねん!アーティストしか、それ思いつかへんで。だいぶセンセーショナルやで、ほんま。みんなも度胆抜かれた顔しとったやろ。そのセンス!なかなかやでえ。おまえ、大物になるわ。おれが保証したる。・・ただな、私服はこの学校NG やねん。明日から一応制服着てこいよ。大丈夫や、制服着てても、おまえのそのチェゲバラ的なスピリッツは誰も忘れへん。みんなの胸にすでに刻み込まれてる!」
そう言って陣内先生は、親指を立てて、グッドした。
生まれてから、何年振りだろうか。
とても晴れ晴れとした気分で、家に帰った。
「ただいまあ!」
勢いよく靴を脱いで家に入る。
「おかえりい。今日のおやつはなあ、大福やでえ!いちご入りのん。」
おばあちゃんはいつものように、おやつと日本茶を手際よく用意してくれた。
大福を口いっぱいに頬張ると、甘酸っぱいいちごと、甘いあんこの味が広がる。
「なんやらくちゃん、今日は景気のええ顔しとるやないの。なんかええこと、あったんか?」
おばあちゃんは喉に詰まって死んだらあかんからと、自分は煎餅をかじっている。
「なんも。なんもないよ。でも、なんかちょっと楽しなってきてな。いい気分やねん!」
「そら、ええこった。楽しいんが一番や。そんなええことはないわ」
おばあちゃんは、あっはっはっと豪快に笑った。
昨日から前歯の部分入れ歯をなくし、笑うと前歯三本がない。
でもおばあちゃんはおばあちゃんの顔だ。
私はその日から、楽しいほう、面白いほうを選ぶようになった。
どんなに深い闇が押し寄せても、一筋の光りを手繰り寄せ掴んで選び、今まで自分のことを馬鹿にしてきたすべてのムカつくやつらを嘲笑って、それらをすぐにゴミ箱に捨て去った。

ぜんぶ自分で選んで生きはじめたとき、スタート合図のピストル音が体内に鳴り響き、細胞が躍動しだした。




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たみい
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