『3人のレンガ職人・・その三年後』
働く意味だったり
「目標」と「目的」の違いだったりで
よく例え話を用いることがありますよね
寓話「3人のレンガ職人」
中世のとあるヨーロッパの街
建築現場に3人の男が働いていました
「何をしているのですか?」と聞かれ
3人のレンガ職人はこう答えました
◆一人目のAさん
「レンガを積んでいるのさ」
◆二人目のBさん
「金を稼いでいるのさ」
◆三人目のCさん
「後世に残る『街の教会』を造っているんだ」
働く意識
◆一人目のAさんは
「【作業】として単調に繰り返す生き方」
◆二人目のBさんは
「【稼業】として割のいい仕事を探す生き方」
◆三人目のCさんは
「【使命】と感じて街のためになる生き方」
こんな風に
同じ仕事をしていても
向き合う姿勢って様々ですよね
そしてちょいちょい
この「姿勢」や「動機」について
指摘したり・指摘されたりという光景が
職場で飛び交っていたりします
そして何故か
「AさんやBさん」系の人ほど
やたらと自分の評価を気にしたりしますよねw
CSが上がればESが上がる
よく目にするのが
「ES(従業員満足)なくして CS(顧客満足)なし」
というフレーズですが
わたし的には
「誰かを満足させたいと働くことで
自ずとCSが上がり
それがESへとつながる」
という持論でして・・・
先程の3人の職人たちが
それについて最終的に教えてくれるのですが
その前にもう少し掘り下げてみたいと思います。
目標と目的
「今日は○○個、レンガを積む」
「◆月◆日までに完成させる」・・・
というのは三人に共通の『目標』です
『目標』って外部から与えられるものですよね
一方『目的』って
自分で見出すしかないですよね
【作業】としてレンガを積んでいるAさん
⇒目的「特になし」
【稼業】として金を稼いでいるBさん
⇒目的「特になし」
【使命】として教会を造っているCさん
⇒目的「後世に残る建設事業に携わるため」
AさんとBさんは、街の教会建設は「他人ごと」
Cさんのそれは「自分ごと」
ポイントはここですよね‼
「他人ごと」で働くとは
⇒他者からの指示や目標
「自分ごと」で働くとは
⇒自らの意味や目的
人生そのものが
変わってくるのは言うまでもないかと
三年後の3人は・・・
【作業】で働くAさんは
⇒別の建設現場で
相変わらずレンガを積んでいます
【稼業】で働くBさんは
⇒「金を稼ぐためなら何でもいい」と
身体的にはキツイ
≪ノコギリで木を切る仕事≫を
【使命】で働くCさんは
⇒その真摯な働きぶりと向上心を認められ
町役場から仕事の誘いを受け
今では「道路計画」や「水道計画」を練るなどの
街の発展に貢献する仕事に就いています
さて・・・これって
仕事だけの話じゃないですよね
いくつになっても考えさせられます
何はともあれ「めでたしめでたし!」!