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鍵は失くしたけど前は向けるか

 写真の整理をした。
 スマホの容量がないよと言われ続けて数か月、やっと写真をpcに移して、移しっぱなしだった写真を整理する。主な作業は、昔の自分が撮った痛々しい自撮りの削除だ。できうる限りカメラを手前に傾けて撮った上目遣いの滑稽なピン写真を、心を無にして削除していく。それと同時にもう必要ないものやブレた写真も片づける。
 その無心の作業で荒れていく心をなだめてくれるのは、フォルダに残った思い出の数々である。友人と行った大阪や横浜、母と行った温泉旅行など、数は少ないけれど大切な思い出たちを懐かしみながら作業を続ける。

 ところで、私は他人に褒められるのが苦手だ。自分が自分を認めてあげられないから、その他人が本心で言ってくれた言葉でもおそろしいほど心に残らない。相手が勇気を出して伝えてくれた一言、たいせつなひとことが覚えていられないなんて、私はひどい奴だと思う。自分への誉め言葉を他人事として処理しようとしている自分がいることに気づく。変に拗らせた反応をすると相手が困るから、ありがとうは言う。そんな浅はかな知恵だけつけた無意識の私が、誉め言葉を迅速に鍵のかかった箱にしまい、その箱を見つからない場所にしまったのち、鍵を捨ててしまうのだ。

 写真を整理していて、一枚のスクリーンショットが目に留まった。それは、私に送られたTwitterのリプライがいくつか収められたスクリーンショットだった。そこには私の歌に対する感想、私を肯定してくれるたくさんの言葉たちが写っていた(私は昔人前でへたくそな歌を歌うイベントをしたことがある)。驚きが隠せなかった。私は、これを見るまでこんな誉め言葉をいただいたことを、こんな誉め言葉をいただけるような自分が存在していたことを、微塵も思い出せなかったのである。フォロワーさんが紡いでくれた大事な大事な言葉は、私によって頭の奥底に仕舞われて埃をかぶっていたのである。
 そのリプライたちを読んで、涙が出てきた。こんな私を認めてくれて、誉めてくれてありがとう。忘れていてごめんなさい。


 このスクリーンショットは、過去の私が未来に託した希望だったのだと思う。これはいつか、自分を肯定する言葉をちゃんと受け取れるようになることを、自分が自分を肯定できるようになることを、願った私がつくったタイムカプセルなのだ。

 きょう、タイムカプセルを見つけた。
鍵がかかってて、その鍵のありかはまだわからないけど。

Mocha.

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