死に時を探して息をしている。
死ぬ理由とかタイミングってのは、自分にとって足るものであればよくて、それが偶然他人にとって足るものであればなおよい。
だけどそれなりにやりたいこととか楽しいこともあって、そんなに死の方向ばっかりを向いて生きているわけでもない。
そういえば昔から、他人になぜだか「儚い」と形容されることが多々あって、そんなはずはないと苦笑してしまうし気恥ずかしいけれど、あまりに定期的にいろんな人から言われるものだから、本当に不思議だけどそうなのかもしれない(それか、遠回しになにか悪いところを指摘されているのかも)。
私は弱いやつなんだけど、周りからあんまりそう思われても不自由だし、思われたくないというプライドのようなものも少しあって、そういう部分と元からの雑な部分が相まって、周りからは粗暴だったり雑だったり、つまり「儚い」なんてイメージとはかけ離れた印象を持たれているかと思ったけど、案外そうでもないらしい。
大学時代からの、今でも定期的に遊ぶ友人が毎回別れ際に 生きてるだけで偉いんだよ、死なないでね、と言ってくれるんだけど、そんなに私は消えてしまいそうな人間なのだろうか、といつも少し面白くなってしまう。
もちろん、悲しいから、周りの人には死んでほしくない。でも自分がこの世界からいなくなることを考えると、それもいいな、と毎回思う。昔と変わったのは、死ななければいけないっていう酷い希死念慮からは解放されて、幾分自由に前向きに考えるようになったことだけど、私が死ぬのが嫌な人間がもしいるとして、そいつからしたらそんなことどうでもいいんだろうな。
こんな文を残してもし死んだら、遺書のように取り扱われるのかもしれないな、と思うと可笑しくなる。死ぬことを考えるのは私にとって日常で、その気持ちと同居して生きてるから、今悩んでいるとかでも全然ない。たまたま、うまく言葉にできそうだったからここに残しておく。それだけ。
mocha.
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