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自分の持っている経歴を手放してみる

私の住んでいるところは5月はぐずつきながらも、最近また毎日のようにお天気が続いています。


天気がいい日はついしたいことが増えて、何からしようかなームフムフと考えているライフコーチの為近奈央です。



今日はそんなことで久しぶりにパッと早起きしました。

目覚めも良くて気持ちいい朝です。

そんなわけで自分のnoteのページを見ていてあれ、と違和感を感じ、なんとなくプロフィールを変えてみました。

直感的に自分のプロフィールを読んでなんか違う、と思って反射的に消したので、前にどんなことを書いていたのか、正確には思い出せません。

でも、多分こんなことを書いていました。

/東大→外資コンサル→ライフコーチ/日本茶と水引が好きです/ライフコーチワールドでライフコーチを学ぶ/HSP/建築を学ぶ


もっと色々書いています。

でも、消しちゃいました。


私の心にそれだけの変化がいつの間にか起きていた。

だから、このプロフィールに違和感を感じた。


多分、今振り返ってみて感じたのは、

「書いてあったことが過去の功績ばっかりだった」

ということ。

別にどれも悪いわけではないのです。私のやってきたことという事実です。

だから、私にとってはどれも宝物です。一つ一つの経験があって今があるから。

だけど、それって、単純に事実でそれ以外には本当は意味を持たない。




それを見る人や書いている私が色眼鏡をつけて見ているだけなのでは無いかなと思うのです。

これは、宝石だ~とキラキラしたプロフィールを見ても、その人の「味」は伝わらない。


そんなことを漠然と思ってふと消したのだと思います。


以前の私はきっと、「これしかない」と、そうした経歴たちを大事に大事に持っていました。

宝石のように磨いてそれを使うことに必死に生きてきました。


だから、専門から離れて独立することも、本当は怖かったのです。

専門で大学や大学院で学んだことは活かしやすい。でも、そこから全然畑の違うところにきたら、「どういうつながり?」と思われるので活かしにくい。

そんなことで、何度も転職を試みたけれど、持っているから使えるわけでは無いということがよく実感できた。


今はそうしたものはきっかけにしか過ぎなくて、私になにか専門という色をつけなくても、私の生き方それ自体が何かしらの「色」を持つのではないかな、と思っています。



持っているものが社会的に凄ければすごいほど、かえって持っていた輝かしい(ようにみえていた)ものたちが自分の意志よりも強く社会に影響を及ぼすからこそ、「これを生かさねば」と思ってしまう。

そしてそれを持っている人の多くは優秀な成績を収めるので比較的真面目に努力してそれを得ているからこそ、手放すのも怖くなる。

自分の持っているものがダイヤモンドで数億円の価値があったら、どうしてもそれを使わずして生きるなんて!と思ってしまうのです。

私はずっとそう思っていました。



でも、今思うことは、

「使いたければ使えばいいし、使いたくないなら使わなくていい」


自分の持っているものがとってもレアで特権でも、今マッチしていないなら、そこに寄せる必要って無い。どんな持ち物よりもあなたのほうが大事なのですから。


人よりも大事なものなんて無いと思っています。

それに、そこに引っ張られなくても、あなたが積み上げてきたものは消えないで残ってくれるのです。


だから、埋めておいてまた、必要となったときに掘り起こしてあげればいい。輝けないのに置いておくなんて、自分にとっても、その事実にとっても幸せではないから。



私は自分のプロフィールから、自分の経歴を消してみて今は荷物が一つ減った気分です。

肩の荷がすっかりおりて私はまた一段と軽やかになりそうです。

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為近奈央│「普通は」から「私は」に変わるコーチング
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