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世界が終わる夜に

仕事で記事を書くにあたり、病気関連の記事を見ていたのだけれど、壮絶な苦しみを抱えながら生きている人があまりにたくさんいる事実を改めて突きつけられているようで胸が痛い。

それぞれ相対的にみれば苦しみのレベルは異なるのだろうけど、苦しみは相対化できない。

息苦しくなるほどの苦悩を抱えた人間がいっぱいいる。
新聞に掲載されるほどの病気を抱えた人ではなくても、多くの人が家庭や職場の人間関係に苦しんだり、自分のことが嫌いで苦しんだりしている。

そう思うと苦しい。

「苦しみがあるからそのぶん、楽しいことや幸せを感じることができるんだよ」という考え方もできるかもしれない。

でも、幸せと思えずに死んでいく生命もたくさんある。苦しい。

チャットモンチーの歌に「世界が終わる夜に」という曲がある。

私が神様だったらこんな世界は作らなかった 

この歌詞がこころの叫びをうたってくれているように思える。

ふとこの歌を思い出し、歌詞を調べてみたら、この曲がつくられた背景について書かかれたブログにたどり着いた。

「世界が終わる夜に」の作詞を担当したあっこは、テレビのインタビューで次のようなエピソードを語っている。

駅のホームで電車を待っている時に、人身事故による電車の遅れがアナウンスされたという。

しかし電車を待っていた人たちは、人身事故を悲しがるのではなく、電車が遅れることに対して苛立っている様子だった。

その体験から生まれた曲が「世界が終わる夜に」だという。

まさに、この世界の虚しさと儚さと苦しみが表現された、素敵なうただと思った。


私がこういうこと考えていても何も生み出さないし、現実逃避をしたくなっているだけなのだけれど。それでも、言葉にすることで苦しみは和らぐように思う。

花を買って生活に彩りを…