吉見観音・安楽寺
吉見百穴を後にして、続いて向かったのは、坂東三十三霊場の11番、吉見観音の通称で知られる安楽寺。吉見百穴から車で20分ほどでしょうか。
駐車場は、お寺よりかなり手前にあります。お寺の近くにはありませんので、ここに置いてしばらく歩きます。
石段から見上げると、立派な山門が建っていました。
振り返り、山門側から見下します。一直線に続く参道は、それはのどかな感じでした。
さて、再び向き直ると、本堂が迎えます。
雨が強くなってきたので、本堂の軒下に逃げ込みます。
意外?と言っては失礼ですが、立派な三重塔がありました。
町役場のホームページによると寛永年間の建造ということで、江戸時代初期のものですね。
境内には数人の参拝客がいましたが、静かで大変落ち着いたお寺でした。
本堂の中。この頃は(今も?)仕事で失敗だらけで、疲れた心の安穏を求めて、観音様にお参りです。
ところが観音様は、秘仏でその姿を拝めませんでした。
そこで、代わりに観音様の絵を描いたお札、すなわち御影(おすがた)を頂こうと思いました。
・・・ところが本堂内には授与所のようなものはなく、お札やお守りは、本坊にあると書いてありました。
ここで、人見知りで臆病な性格が災い。
各地の寺社でお札を授かっている私ですが、正直、私のような若い人がお札を頂きに行くと、信仰心というより興味本位と思われるのか、あまりいい顔をされないことが多いのです。
まあ、確かに今までコレクション的にお札を集めていたこともあり、そう思われてもしかたがない面もあったのですが・・・
それでも、まだ人が待機している授与所でお札を貰うのはいいのです。
問題は、授与所がなくて、わざわざお寺の人を呼んで、お札をもらうパターン。
いつか豊川の三明寺というお寺で、ずいぶんぶっきらぼうな対応をされたことがあったので、なんとなくわざわざお寺の人を呼んで、お札をもらうのに、臆病になっていました。
それでも、一応、恐る恐る、本坊に行ってみる・・・
本坊をのぞいてみると、チラリとお札やお守りが置いてある場所があった・・・
扉をガラリとあけて、中に入ってみると、お札やお守りが陳列されていました。
でも、やっぱり人がいない・・・
「わざわざ人を呼ぶこともない・・・また来るかもしれない。その時に・・・」
そう思って、私は本坊をあとにしました。
◇ ◇ ◇ ◇
それでも、本堂のところまで来たとき、不意に
「いや・・・でも、もう二度と吉見なんぞには来ないだろうなぁ・・・」
と思いました。
本堂に再びのぼり、観音様に手を合わせていると、不思議とこの観音様と結縁を結びたいと思うようになりました。
私は、再び本坊に向かいました。
中には相変わらず人はいませんでしたが、私は構わず呼び鈴を鳴らしました。
「はいはい」
しばらくして、お坊さんが出てきてくださいました。
「あ、こんにちは・・・あの、観音様の御影を頂きたいのですが・・・」
「はい」
人の好さそうなお坊さんは、御影を取り出すと、それを見せました。
「こちらですね」
「はい」
すると、お坊さんは台の上にその御影を捧げおくと、手を合わせ、目をつぶり、お経の一節か、あるいは真言を唱えました。
思わず頭を下げる私。
そうしてお坊さんは、御影を袋に入れると、私に渡してくれました。
「ありがとうございます」
「どうぞ、お気をつけて」
お坊さんから貰った御影が、雨に濡れないように、大事に鞄に入れてから、私は本坊の軒を出ました。
お坊さんの言葉とともに、さながら観音様の分身を授かったような気分になりました。
なんとなく、今までの重苦しい気分が少し晴れて、勇気を出してお札を授かってよかったと思いました。
そこで再再度、本堂に上り、観音様に手を合わせました。
ここでの体験は、しばしいろいろな失敗続きだった日々に一区切りをつけました。
吉見には二度と来ないだろう。
そう思っていました。
しかし、ここ埼玉の任地での、仕事が一区切りついたら、埼玉を去る前におそらく私はここの観音様にお礼参りに来るだろう。
そう思って、安楽寺を後にするのでした。
(おわり)
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