タメ/pt-watcher🌠(類聚メモ帳PART3)

ブログ「類聚メモ帳」著者/「鎌倉史跡・寺社データベース」管理人。中世史、仏像、寺社、古…

タメ/pt-watcher🌠(類聚メモ帳PART3)

ブログ「類聚メモ帳」著者/「鎌倉史跡・寺社データベース」管理人。中世史、仏像、寺社、古建築、絵画等に興味があります。神奈川県鎌倉市出身。

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「類聚メモ帳」はnoteへ引っ越してPART3になりました。

2011年12月に始まった我がブログ「類聚メモ帳」。当初はSo-netブログを利用していましたが、特に画像のアップロード機能に不満が多く、2019年12月31日にHatenaBlogへ移転しました。 それから約4年と7か月の歳月をもって、「類聚メモ帳」はnoteに再移転することになりました。 HatenaBlogは使い勝手は非常によくHTMLも使えたので、特にふりがな(ルビ)なんかを使える点で良かったのですが、移転を決めた一番の理由は広告です。 まず、このブログは更新頻度が

    • 2014年4月7日以前の記事の復元を諦めました。

      いろいろわけあってnoteに移行してきた3期目の「類聚メモ帳」。 ここまでせっせと記事の復元を作業をしてきたわけですが、なかなかはかどらない。理由としては、 移行時点で255もの記事があった。 無駄な改行や画像ファイル名が入ってしまう、HatenaBlogで入れていたルビが反映されないなどの理由で再編集が必要である。 …などとにかく一筋縄では移行が進まなかったのです。 加えて、2014年4月7日以前の記事は投稿日時が反映されず、すべて「2014年4月7日」になってしま

      • セブンイレブンでの大事件

        それはある日の夕方のことだった。 この日は職場のくだらない(心底どうでもいい)、しかし、なかなか大変な会議のため心が折れ、その日の夕食を作る気がなくなった。帰ってからもやらなければいけない仕事がいくつかたまっており、夕食にあまり多くの時間を費やすわけにいかない。そこで簡単にコンビニで食事を買って夕食を済ませようと、自宅の最寄り駅のすぐそばにあるセブンイレブンに妻と立ち寄った。 弁当や総菜などをひとしきり選んだ後、「ちょっとお酒でも飲もう」と思って、セブンイレブンのプライベ

        • 橘寺(明日香村)

          仕事を辞めたい、と思った(何回目?)。しかし、本年はいよいよ今年限りと思い、例によって再び聖徳太子の御前に額づいてその思いを吐露したいと思った。前回は播磨の法隆寺荘園の旧地、斑鳩寺に向かい、それもやはり年度の終わりが近づく去年の3月のことであった。今回は太子がお生まれになったと伝わる橘寺にやってきた。果たして太子は今回の旅で私に何を与えてくれるのだろうか。 明日香村の観光はレンタサイクルが主流らしい。 近鉄吉野線の飛鳥駅前にはいくつものレンタサイクル屋さんが並ぶ。そのうち

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        記事

          石山寺その2(大津市)

          さて、本堂の拝観を終える。写真の通り、本堂にやはりワラワラと人がいるが、往古とて同じように貴賤関係なく多くの人がこうして観音詣でをしていたことであろう。本堂の一角には紫式部が参籠したと伝える「源氏の間」なる一角があった。伝承に過ぎないだろうが、大河ドラマの影響からか多くの人たちがスマートフォンのカメラを向けていた。 …が、『源氏物語』というのは私は全編を通して読んだことはないのだが、主題は王朝貴族たちの狭い関係の中でやり取りされる恋の物語である。しかし、恋というのは一見とて

          石山寺その1(大津市)

          古来より霊験あらたかな観音霊場と言われれば、やはり大和の長谷寺、京の清水寺、そして近江の石山寺であろう。「紫式部が筆があと」とて、式部が源氏物語を書き起こしたという伝承、そして「石山寺縁起絵巻」などで有名なこのお寺だが、やはり貴賤問わず訪れた観音霊場であることがその基盤であることを忘れてはなるまい。今年、大河ドラマ「光る君へ」のブームにのって、ようやくその石山寺を訪れることができた。 石山寺までのアクセスはいろいろあるが、往路はバスを選択した。琵琶湖線(東海道線)の新快速も

          久遠寺その3(身延町)

          しかし、そうは言ってもこの日は平日である。先述のジイサン、バアサンたちの団体を除いては人はまばらだった。私はひとり、他の人たちがはけるのを待ってから、奥の院(思親閣)へと向かった。身延の山中で晩年を過ごした日蓮。ここは彼が遠く故郷の安房・小湊の方を向いて、両親や師のことを思って追慕した地であることから思親閣と名付けられている。 まず迎えるのは仁王門である。近世の造営で域内からの移転らしい。 中にいたのは仁王さんだったか。日蓮宗の場合はこういう総門は二天門であることも多いが

          久遠寺その2(身延町)

          さてさて、287段もの菩提梯を登りきると、そこは壇上にあまたの伽藍が建ち並ぶ。久遠寺の前身となろう日蓮が晩年を過ごした草庵の跡はここではない。ここに伽藍が建立されたのは室町時代頃で主導したのは、関東では眼病に霊験あらたかとしてよく知られている日朝である。鎌倉幕府には敵対的であった日蓮宗ではあるが、その後の戦国大名・武田氏や江戸幕府の徳川氏からは帰依を受け、日蓮宗の最高の霊地として君臨している。正面にあるのが本堂で… ▲前回 その横に巨大な祖師堂が並んでたっていた。 祖師

          久遠寺その1(身延町)

          これは昨年の秋の話になる。11月に私は仕事の都合で米国に行ってきた。海外旅行の経験自体は何回かあるが、米国は初めてでそれはそれなりに良い経験であった。 しかし、異国を旅した後、「異国で浴びた空気」を日本の神聖な温泉で清めたいという謎の思いにかられて、帰国のなんと翌日(幸い時差ボケがほとんどなかった)私はどこでもいいから温泉に入りたい、と車を走らせた。行く地は身延山。日蓮宗の総本山たる久遠寺の所在する霊地である。 身延山へはかねてより建設が進められていた中部横断自動車道の双

          コロッケそばの怪

          皆さんはコロッケそばという食べ物があるのをご存じだろうか。 かけそばにコロッケが入っているだけのシンプルな料理。 しかし、通例「かけそばにコロッケを入れるか?」ということでゲテ物扱いされ、あるいはその存在を知っている人においてもそんなに高尚な食べ物ではないという認識を持たれるであろう、この料理。 私がコロッケそばと出会ったのは、大学生の頃であった。大学の学食にコロッケそばがあったのだ。最初は私も「なんじゃそら」と思ったのだけれども、食べてみると…「別においしいとは言えな

          気に入っているもの(FMトランスミッター)

          私の乗っている車は今年で13年目を迎えます。製造から13年も経つと陳腐化が進み、最新の車にはついているものがなかったりと、いろいろ不便に思うこともチラホラ。 特に車中で音楽を聴く時なのですが、もともとこの車はCDの再生とiPodに接続することができるのですが、もはや音楽はスマホで聴く時代。特に私は音楽のサブスクに入っているので、今となってはCDもiPodも使いません。 どうしたらスマホの音楽を車で聴くことができるか…ずっと思案していたら、こんないい商品がありました。 車

          気に入っているもの(FMトランスミッター)

          笠森観音(長南町)

          茂原もばらの鷲山寺じゅせんじに向かう途中、かねてから行ってみたかった長南町ちょうなんまちの笠森観音(笠森寺かさもりじ)にも寄った。本尊を十一面観音とする坂東33観音の31か所目にあたるが、大岩の上に聳える特徴的な懸造かけづくりの観音堂が有名なお寺である。なお、天台宗である。 車で寺の入り口まで来ると目の前に町営駐車場がある(無料)。 なお、寺の住所は長南町だが、位置的には隣の長柄町との境界近くに寺は存在している。 そこに車を止めて、しばらくこんな感じの山道を歩いていくこ

          元禄津波供養塔(茂原市)

          久しぶりに平日休みに遠出をした。前日までどこに行こうか悩み続け、結局、千葉県にした。相変わらず仕事の悩みがつきない中、そんな現実を忘れるために、車で行ける手軽な田舎を選んだのだった。 我が家から房総半島の中部に向かうのに一番手っ取り早い手段は東京湾アクアラインを渡ることだ。 アクアライン自体は昔、友達の車で走ったことがあるが、ここパーキングエリア「海ほたる」に上陸したのは今回が初めてであった。 そこから木更津を経て房総半島中央部に車を進める。途中、寄り道しながら着いたの

          謎の丸山教の石碑(杉並区)

          所用があって京王線・八幡山駅の北側の住宅街の中を歩いていたら、個人の邸宅の一角(おそらく私有地であろう)に気になる石碑があった。 地図上(GoogleMap)には「稲荷神社」と記されており、鳥居と小さな祠がある(これが稲荷社なのであろう)その右脇にある石碑がそれである。 石碑の上部にある山の形が気になったのである。 この山の描写から私はこれが「大山詣」関係の石碑かと勘違いした。 何しろ、東京や神奈川には大山信仰に基づく、道標や石碑が多い。 こんなところにも大山関係の

          謎の丸山教の石碑(杉並区)

          その後の行程(新婚旅行編・完結)

          何しろ2年前の2021年の春に行った新婚旅行の記事がいまだに完結していなかった。 道成寺の参拝を終え、残すところは南方熊楠記念館(白浜町)、熊野本宮大社(田辺市)、熊野速玉大社(新宮市)、熊野那智大社(那智勝浦町)、そしてトルコ記念館(串本町)である。 これだけの時間が経ってしまうと、もうすでにこれらの寺社等を一つずつ立項するのは難しい(思い立った時に立項するか、あるいは再訪した際に記事にするかは別として)。だけれどもとにかくこの新婚旅行編を完結させなければブログ上におけ

          その後の行程(新婚旅行編・完結)

          高野山金剛峰寺(高野町)

          これはもう1年も前のこと。2022年3月、私たち夫妻は初めて奈良県の吉野と和歌山県の高野山を訪れた。年度も末の忙しい最中、例によって仕事終わりに新幹線に飛び乗って2泊3日の強行軍。それでも桜と南朝遺跡に名に負う吉野の地と、日本密教の総本山たる高野山をこの目で何とか見たいと思い続けていた。今回はそのうち高野山の旅の思い出を記事にする(ちなみに吉野訪問はこの前日だった)。 前日、吉野の訪問を終えた私たちは近鉄線で吉野口駅まで北上。 吉野口駅はローカル線の寂しい駅と思いきや、建設

          高野山金剛峰寺(高野町)