謎の丸山教の石碑(杉並区)
所用があって京王線・八幡山駅の北側の住宅街の中を歩いていたら、個人の邸宅の一角(おそらく私有地であろう)に気になる石碑があった。
地図上(GoogleMap)には「稲荷神社」と記されており、鳥居と小さな祠がある(これが稲荷社なのであろう)その右脇にある石碑がそれである。
石碑の上部にある山の形が気になったのである。
この山の描写から私はこれが「大山詣」関係の石碑かと勘違いした。
何しろ、東京や神奈川には大山信仰に基づく、道標や石碑が多い。
こんなところにも大山関係の石碑があるのかと思って、近寄ってみたのである。
ところがどうも様相が違う。まず、「大山」と書いてあると思った碑の中央部分だが…
大山と書いてあるわけではなかった。するとなんて書いてあるのであろうか。
碑文全体も難しい。
「■山」の下にあるのはたぶん「波」なんだろう。すなわち「は」である(変体仮名)。
「■山は…」と書いてあるのだ。
その下は「一天一筋」。その下は「乃」である(これも変体仮名)。さらに「…道也」と続く。
つなげてみると「■山は一天一筋の道なり」。
どういう意味だ?
ヒントになろうかと思われるのは、左下横の署名の部分で「神道丸山明徳教會■教師 訓導 島田元次郎」とある。■は異体字らしく読めない。(★追記1参照)
「神道丸山…」というのが聞きなれないが、どうも明治初期に興った教派神道の一つ「丸山教」のものらしい。
そうなるとこの部分は…
「丸」と読めるとみた。正字体とは違うが、案の定、くずし字辞典で確認すると、これは「丸」であった。
先にあった碑文全体は「丸山は一天一筋の道なり」と書いてあったのだ。
「一天一筋の道」というのが丸山教に関連することは検索してわかった。そういう本が丸山教の本部から出されていたのだ。
残された▼の部分が、わからない。
最初、「宣教師」(大教宣布の一連の政策の中で設けられた)と思ったが、くずし字辞典でも異体字辞典でも出てこなかった…
なお、丸山教は武蔵国橘樹郡登戸(現在の川崎市多摩区登戸)の百姓であった伊藤六郎兵衛を教祖として明治3年(1870)に形成された新興宗教で、富士山信仰の一種である富士講の一派を源泉とする。
関東一円に広まり、明治中期には138万人もの信者がいたが、国家による宗教政策や官憲の弾圧もあり、その後、急速に衰えていった。
(参考:川崎市教育委員会ホームページ)
現在も本部は登戸にある。
上にある篆書体の文字もなんて書いてあるかわからないが(追記2参照)、往時はかなりの勢いを誇ったであろう丸山教の遺跡がこんな住宅街の片隅にポツンと残されている、というのも面白い発見だと思った。
明治初期、神仏分離令や大教宣布など神道の国教化を巡る動きは大学の講義で聞いたし、安丸良夫氏の『神々の明治維新』(岩波新書)などで読んだが、印象はかなり複雑で混沌としている(そして全部失敗した!)、といった感じである。
仏教・神道といったメジャーな宗教に、丸山教のような民衆宗教が一枚噛んでいったこのカオスな感じもまた調べてみると面白いのかな。
(終わり)
★追記1
その後、読めなかった▼であるが、
この記事へのコメントで「所」ではないか?と教えて頂いた。
▲「くずし字データベース検索」(人文学オープンデータ共同利用センター)で検索してみると、『養蚕秘録』(享和3年(1803))の中にまさに合致するものを発見。
「所」かぁ…大学院時代も特に読めなかったんだよなぁ…何せくずし方が多いので…でも先生や先輩たちはひょいと読めちゃうんだから…
それはそうと、教えてくださった火打金様、ありがとうございました!
そうなると記名の部分が「神道丸山明徳教会所 教師」と読めることも明らかになった。
「神道丸山明徳教会所」というのが何かはわかっていないが、東京都宗教法人名簿(東京都生活文化局)のリストの中に「丸山教明徳教会」というものが、この碑の位置から程近い、世田谷区北烏山に所在していることがわかった(この碑があるのは杉並区上高井戸だが、ここのあたりは世田谷との区境地帯にある*1)。
おそらく「明徳教会所」は至近の丸山教の教会なのだろう。
(GoogleMapでその住所を検索しても、それらしいものはなかったが…)
★追記2
一つ謎が解けると、今度はこの篆書体にも挑戦したくなる。
右から読むのだが…
とりあえずこの二つは「事業」と読むことがなんとなくわかった。
「事」⇒篆書字体データベース検索(人文学オープンデータ共同利用センター)
「業」⇒篆書字体データベース検索(人文学オープンデータ共同利用センター)
さて、残る右の2つは何だろう…
おそらく大教宣布がらみであろうから、推測してみるのも楽しいかな。でも、いろいろ試したけど、いまのところはわからず…
【参考にしたページ】
・くずし字データベース検索(人文学オープンデータ共同利用センター)
・まちの文化財(117) 上垣守国と養蚕秘録(養父市ホームページ)
*1:そもそも京王線の八幡山駅は、駅名こそ世田谷区の地名「八幡山」に由来しているが、駅施設のほとんどは杉並区上高井戸に所在している
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