笠森観音(長南町)
茂原もばらの鷲山寺じゅせんじに向かう途中、かねてから行ってみたかった長南町ちょうなんまちの笠森観音(笠森寺かさもりじ)にも寄った。本尊を十一面観音とする坂東33観音の31か所目にあたるが、大岩の上に聳える特徴的な懸造かけづくりの観音堂が有名なお寺である。なお、天台宗である。
車で寺の入り口まで来ると目の前に町営駐車場がある(無料)。
なお、寺の住所は長南町だが、位置的には隣の長柄町との境界近くに寺は存在している。
そこに車を止めて、しばらくこんな感じの山道を歩いていくことになる。
参道はとても豊かな自然林が広がっている。「名木三本杉」とはこれまたなんかすごいけど、ちょっと怖い。天狗でもいそうな雰囲気。
さて、そこからさらに上がると門があった。二天門らしいが…
中にいたのは雷神と…
風神であった。
普通、二天門の二天とは四天王のうち、多聞天と持国天を配した門だ。風神と雷神がその代わりにいるのは珍しい。まるで浅草の浅草寺の雷門みたいじゃないか。
そんなわけで観音堂へ。いや、写真で見るより実物で見たほうが迫力があった。
観音堂へ上がる木の階段は結構急だった。手すりを取って転げ落ちないように登っていく。雨天時、閉堂しているというが安全のためであろうか。
登り切ったところで拝観料(大人300円)を払う。そこでもらったパンフレットによると…
最澄の開基による…というのは後世の仮託であろうと思われる。また後一条天皇の勅願による建立と伝える観音堂は、その後焼失したため、現在の観音堂は中世末期のものであるという。
それにしても関東地方に少ない安土桃山時代の建築物がこんなところにあったとは……驚きである。
観音堂の内部は写真撮影禁止。よって目で見たものをレポート。
内部は外陣から内陣を窺えるようになっていた。正面に格子はなく、厨子(というより宮殿)が見える。灯籠が二つ並んでいる。正面の宮殿の扉は閉じられており、その前にお前立ちと思われる十一面観音像が立っている。手に紐がつけられ、それが外陣の方に伸びており、参拝者が奉納した白い布(願い事が書かれている)がたくさんぶら下がっている。観音様の手から伸びている紐は外の廻廊にある柱に繋がっている。
宮殿の四隅を取り囲むように四天王と思われる像がある。顔面などに一部色彩が残っている。いつ頃の像であろうか?
向かって左側には地蔵菩薩の座像があった。こちらはやや大柄。なお、右側には何も安置されておらず、がらんとしている。
外陣に弁財天の像などがあった。こちらはさほど古くない様子。
観音堂内は人も少なく一人でいつまでもじっくりと眺めていることができた。なかなか良いお堂であった。眺めも良い。こうやってみると確かに豊かな房総の自然林がずっと遠くまで続いており雄大だ。
さて、帰ります。
帰りは懸造の構造をじっくり見ながら。
懸造というのはこうして崖などに長い柱などを地形に合わせて立ててその上にお堂を作る建て方をいう。有名なのは鳥取県の三仏寺奥の院の通称「投入堂」であるが、他にも京都の清水寺、私が行ったことがあるところだと奈良の長谷寺の観音堂も懸造である。
だけど崖に張り付くように建てる懸造は多いが、このように大きな岩の上に建てられた懸造というのは珍しい。
▼こちらはお寺のパンフレットにあった二世安藤広重画の浮世絵。
なお、観音堂内には建長5年(1253)、安房小湊の清澄寺を追われた日蓮が鎌倉に向かうまでの間、37日間この参籠としたという「日蓮参籠の間」がある。すごい狭い小さな部屋であったけれど…
そうか、この寺は天台宗だったね。「真言亡国、念仏無間、律国賊、禅天魔」と他宗を激しく攻撃した日蓮だったが、自分が学んだ比叡山の天台宗に対してだけは何も言わなかった。故郷を追われて笠森の観音堂に逃げた若き日のことがいつも頭の中にあったのかな。
観音堂の北側(ちょうど裏側)になぜかもう一つ門があった。
こちらは仁王門らしいが、この門はどこに向かって建っているのだろうか…
門の先は山道みたいになっていた。一応、道はあったが藪みたいになっており、大きなクモが巣を張っていたのでそれ以上は歩かなかった。
後から地図を見てみたが、結局、この仁王門が面している道がどこに続いているのかわからなかった。
★おまけ
町営駐車場の前には古びたドライブイン的な施設が…
かつてはお土産物屋さんか食堂でもあったのであろうか。
なんかめちゃくちゃエモかった。
(終わり)
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