2月8日は針供養
毎年2月8日は、針供養の日として知られています。針供養とは、折れたり、錆びてしまった針を神社やお堂に納める行事で、日頃使っている針に感謝して供養するのと同時に、裁縫の上達を祈る行事であるようです。針供養という行事があるのは前から知っていたのですが、どうも針供養というのは各地にある淡島神社という神社や、淡島明神を祀る淡島堂で行われるのが中心である、と聞いて、ちょっと興味を持つようになりました。
それで、針供養の行事を見てみたい、と思い、たまたま今年の2月8日は日曜日だったので、天気が心配ながらもまずは浅草へ。
浅草寺の観音堂はいつもながら参拝客で盛況です。
堂内は押すな押すなの大混雑で、みんな観音様にお参りです。
あのプロ野球のヤクルトの応援歌なんかで歌う「東京音頭」に出てくる「幼馴染の観音様」って、浅草の観音様なんでしょうね。
さて観音堂から針供養をやっている場所を探します。
やってきたのは浅草寺の影向堂(ようごうどう)。
浅草寺にこんなお堂があるなんて知らなんだ。
ま、昔来たような気もするけど・・・
「影向(ようごう)」とは、神仏が仮の姿で現れることを言いますが、影向堂とはいったいなんなんでしょうか。
なかに入ることができて、観音菩薩や如来、明王などあまたの仏像がありました。
その影向堂を通り過ぎると、針供養の会場たる、浅草寺の淡島堂(あわしまどう)がありました。
淡島堂とは、淡島明神という神さまを祀る堂のこと。
そのもとは、和歌山県和歌山市加太(かだ)にある淡島神社です。
神仏習合の影響で、神さまが寺院内に祀られているわけです。
が、ここらで雨が大変強くなってきた・・・
入り口に向かうべし。なんか女性ばかりで、ちょっと気おくれしてしまいます。
淡島堂の前のテントに豆腐が置いてありました。
すでに刺されまくっています!
この淡島堂は、もとはさっきの影向堂の建物だったそうで、その後、1994年に新しい影向堂ができたので、ここに移築したんだとか。
ちなみに戦災で浅草寺の観音堂が焼失してから、1955年まで浅草寺の仮本堂だったということで、いろんな役割を負ってきたわけですね。
背後に「浅草観音温泉」なる古びた看板が!気になります。
浅草界隈は好きで、たびたび来ますが、雨が強くてどうにもならず。
お堂にも入り、諸仏を見ることができたようですが、ちょっと傘などの荷物が多いせいもあって、早々退散。
しかし、思いがけず、淡島明神の御影(おすがた)を入手することができました。
淡島明神の正体は、少彦名命(すくなびこなのみこと)とする説と、住吉神の妃で婦人病にかかったため離婚させられ、海に流されてしまった神という説など、いくつかあるようです。現在の淡島神社の祭神の一つは少彦名命です。
ところが淡島明神は、一般には婦人病に霊験あらたか、という信仰が根強く、女性が信仰する神さまという位置付けがなされています。
というわけで、彫刻も図像も、淡島明神はお札にあるような女神のかたちをとることがほとんどです。
特に江戸期に淡島願人(がんにん)と呼ばれる・・・おそらくこれは御師(おし)の一種なんでしょうね・・・
そういう人が神棚を背負って、淡島明神の功徳を説きながら、門付け(かどつけ)をしたんだとか。
門付け芸人とかって、聞いたことはあるけど、実際に見たことがないので、まったくイメージできない。
でも年配の人とかに聞くと、昔はいたらしいから、かなり気になります。
そういったわけで、淡島信仰はいろんな側面を持っているから油断ならない。
それに和歌山の淡島神社は、流し雛や人形供養、果ては女性用下着の奉納習慣もあるということなので、実に興味深い。
いつか、和歌山の淡島神社もいってみたいですね。
・・・いや、別にパンティーが見たいわけではなく、純粋に民間信仰を探る的な意味で!
さてさて、本当はそのまま世田谷の森厳寺(しんがんじ)というお寺にある淡島堂にも行こうと思ったのだが、雨が本当に強くて気持ちが萎えます。
こんなに雨に困らせられることも少ない私。
しかし、普段、私はスーツなんかのボタンがとれてしまうと、母親に
「これつけておいて」
と放り投げるような人間なので、淡島明神が
「なんでお前が『針に感謝』だ?まずは母親に感謝しろ!この野郎!?」
と怒っているのかも。
行ってはいけない人間が針供養に行ったせいで、強雨の東京地方。
それでも一応、下北沢まで行ってみた。
下北沢駅はなんか工事してました。小田急の地下化は知っていましたが、井の頭線も高架を架け替えているようです。
というわけで、世田谷区代沢にある浄土真宗の森厳寺(しんがんじ)。
一応、着いたは着いたけど、結構閑散としている。この雨じゃあねえ・・・
それでも一応、境内に入ってみることに。
やっていることには、やっているようだ。
森厳寺の淡島堂は境内入ってすぐのところにありました。
ちなみに世田谷区に淡島通りという道路がありますが、由来はこの森厳寺の淡島堂から来ています。
浅草の針供養が、着物を着飾った女の人たちで華やかであったのに対し、こちらは近所の人たちが来ている感じ。
ただし、折からの強い雨で境内はこの通り。
世田谷区にはあまり古いお寺はないですが、この森厳寺も江戸期の創建。
あの家康に嫌われていた、というエピソードだけが有名な家康の次男坊、結城秀康の位牌所として建立されたとのことでした。
ここでも御影(おすがた)をゲット。ちなみに授与所で「おすがた」と言っても、通じなかった。
通じないどころか、見本をさして「これください」と言っても、「・・・」な状態であった。
どうしたらよいかわからず、お互い軽くパニック。
どうやら、お手伝いの人らしく、元からどこに何があるか、よくわからなかったらしい。
お坊さんらしき人が駆けつけて、事なきを得ました。
ここ森厳寺の淡島明神もやはり女神。
だが、宝剣を持ち、宝珠を持っているその姿は少し弁財天にも似ている。
雨が強いので、ここでも淡島堂には入らず退散。
靴が濡れ、靴下もびっちょりなので、とても堂内には上がれる感じではなかった。
残念!また次回とは思ったが、来年の2月8日は月曜日、平日なんだよなぁ・・・
雨は結構好きなのだが、今日ばっかりは恨めしい。
この周辺はすごい感じの豪邸ばかり。そんな超高級住宅地を、一人とぼとぼ雨の中寂しく帰りましたとさ。
(おわり)
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