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九品仏・浄真寺【前編】(世田谷区)

東急大井町線に九品仏(くほんぶつ)駅という駅がある。この駅の名称が、何か仏教的なもの(寺院の通称的な何か)に由来している、ということは曖昧ながらわかっていた。しかし、その何かを知る機会はなかなかなかった。ところが2019年、平成31年の年始、仕事でこの近くまで来た。出張の途中でプライベートな趣味に興じる、というのは私の信念上、ちょっと気が引けたが、普段滅多に下りない九品仏駅で降りたので、せっかくだからと「九品仏」の由来を調べてみようと思ったのだ。


◆PART1 九品仏駅前

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というわけで九品仏の駅前
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「九品仏」は駅名だけでなく、半ば地名化している。

だが、地域名としての九品仏というものはなく、このあたりは世田谷区奥沢にあたる。 その九品仏の由来は、やはり寺院であった。こちらが九品仏駅の目の前にある浄土宗の浄真寺である。

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浄真寺の入り口

この浄真寺の通称が「九品仏」なのである。こちらはその総門。

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総門
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結構境内は広い。

境内には付近の保育園からたくさんの子どもたちが保母さんに率いられて賑やかだった。 彼らが通過するのを待ってから、写真を撮り始める。 やがて立派な仁王門に辿り着いた。

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仁王門は寛政5年(1793)の創建。左右に阿吽の仁王像、楼上には阿弥陀如来と二十五菩薩、風神・雷神などの像があるという。

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◆Part2 サギソウの悲話

開山堂の前の手水舎(てみずしゃ)をふと見ると、こんなものがあった。

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これはサギソウをかたどった蛇口であった。

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サギソウはラン科の多年草である。湿地に自生する。 世田谷区の区の花で、世田谷のマンホールや側溝の蓋に描かれている。

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かつて世田谷にもサギソウが自生するような湿地があり、それで区の花になった、というがもう一つ、世田谷とサギソウにはある悲しい伝説があるのだという。 それは戦国時代、世田谷の領主であった吉良頼康に関するものである。 この話にはいろいろなバリエーションがあって一貫しないので、今回は世田谷区のホームページに掲載されているものをベースに紹介しよう。

今から400年以上前の戦国時代、世田谷城主の吉良頼康は家来で奥沢城主の大平出羽守の娘・常盤姫という姫を側室に迎え入れた。美しい常盤姫は、頼康の寵愛を受けたが、それを妬んだ他の側室たちは常盤姫のことを頼康に讒言した。頼康はそれを信じ、次第に常盤姫を遠ざけるようになってしまった。 悲しんだ常盤姫は、自らの死をもって無実を訴えるため、幼い頃から可愛がっていた白鷺の脚に自ら書いた遺書を結び付け、それを父のいる奥沢城へ向けて放った。 その頃、鷹狩をしていた頼康の目に例の白鷺が飛んでいくのが見えた。頼康が白鷺を矢で射落とすと、 常盤姫の遺書が見つかった。 驚いた頼康は急いで城に戻った。だが、すでに常盤姫は自ら命を絶っていた。その後、白鷺が落ちた場所には一本の華麗な花が咲くようになった。白鷺が羽を広げ、まさに飛び立とうとするその姿から、その花はサギソウと呼ばれるようになった。 昭和40年(1965)、東京100年の記念の年、世田谷区では区民の一般公募によってサギソウが区の花に決まった。

(世田谷資料より)

先にも述べた通り、他にもいろいろなパターンがあるが共通点としては、 ・吉良頼康の美しい側室(常盤姫)が自害しなければならなくなった。 ・自らの身の潔白を訴える手紙を書いた。 ・それを白鷺に託した。 ・だけれども、その白鷺は任を終えることができずに死んでしまった。 ・吉良頼康は後から常盤姫の無実を知って後悔した。 ・それ以来、白鷺の死んだ場所に鷺が飛び立とうとするような形の白い花が咲いた。これがサギソウである。 といったものであろうか。 なお、亡くなった常盤姫はすでに頼康の子を身ごもっており、やがて姫の例は上馬の駒留八幡宮の厳島神社に、お腹の子は若宮八幡に祀られた、という話もある。 上馬にはまた別に「常盤塚」と呼ばれる場所がある。 当然、伝説なので事実とは言い難いだろうが、もしかしたらモチーフとなる話があったのかもしれない。だけれども、悲しいけど白鷺とかサギソウとかちょっと儚い美しさがあるおとぎ話ではあるね。 世田谷にそういう昔ばなしがあるなんて知らなかった。

◆Part3 極楽と地獄

今年初めての開山忌だったらしく、本堂では法要が行われていた。住職の読経や法話の声が本堂に掛けられたスピーカーを通して境内に響き渡る。

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唱えられているのは般若心経や和讃のようだ。私は実はお経を聞くのがとても好きだ。

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お経を聞くととても落ち着くし、それを寺院という特別な空間の中で聞くと、とても心が現れる。 ただ、さきほどから保母さんたちに連れられてお参りに来ていた幼い子たちにしてみれば、それは何だか不気味なメロディに聞こえたのであろうか。 三仏堂の前でお参りをしていた子どもたちは、ただでさえお経が響き渡る独特な雰囲気の中、阿弥陀如来の巨大な像を見て怖くなったか、複数人が「ぎゃー」という声を出して大泣き。 子どものことだから、無理もない。 極楽浄土の主を前にしても、子どもらにしてみればここは阿鼻叫喚の無間地獄といったところであろうか。 なお、浄真寺では「二十五菩薩来迎会(お面かぶり)」という仏教行事が3年に1度行われる。

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これは本堂と上品堂の間に渡された橋を、二十五菩薩の面をかぶった僧侶らが渡るというものである。阿弥陀来迎を表すもので、次回は2020年の5月に行われるという。 先ほどの子どもたちも、やがて稚児としてこの行事に加わる子もいるのだろうか。

(つづく)

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