石山寺その2(大津市)
さて、本堂の拝観を終える。写真の通り、本堂にやはりワラワラと人がいるが、往古とて同じように貴賤関係なく多くの人がこうして観音詣でをしていたことであろう。本堂の一角には紫式部が参籠したと伝える「源氏の間」なる一角があった。伝承に過ぎないだろうが、大河ドラマの影響からか多くの人たちがスマートフォンのカメラを向けていた。
…が、『源氏物語』というのは私は全編を通して読んだことはないのだが、主題は王朝貴族たちの狭い関係の中でやり取りされる恋の物語である。しかし、恋というのは一見とても素晴らしいもののように思える一方、実際のところそうでもない。
執心、嫉妬、野望、失敗、誤算、不倫、密通……うずまく人間模様の中で展開されるそれは、むしろ生の苦しみそのもののようにも見て取れる。
有名な冒頭の「いずれの御時にか…」から始まる桐壺の更衣(光源氏の母)の物語からいきなりいやぁーな感じではないか。
そして、恋には性愛の話が避けて通れない。そこは大人の恋愛である。
ピュアでプラトニックな恋愛とはいかない。ある意味そこを生々しく、正確に描いたのが『源氏物語』であって、このこともあり、後世…それは例えば中世、そして近世と『源氏物語』は「好色の書」、「風俗淫乱の書」として常に批判されてきた。
(江戸時代の小説…例えば上田秋成の『雨月物語』や『白縫物語』の序文に「紫式部は『源氏物語』を書いて地獄に堕ちたけれども…*1」的な文章が登場するのは、当時そういうことが一般常識と化していたことがうかがわれる)
これは仏教、近世に入ってからは儒教の立場からみて、こうした見方がされるようになったが、一方で『源氏物語』を仏教的な思想で読み解こうとする動きや儒学者の中にも『源氏物語』を好意的に取るものなどもいるから、『源氏物語』への批判史の理解は一般的に言われるほど単純ではない。
そして、『源氏物語』を「悪書」と決めつけ、その作者である紫式部を批判した仏教や儒教の価値観に対するアンチテーゼの如く、近世期にいわば日本版のルネサンスのように起こった国学の立場、国学者の側がー例えばそれは本居宣長に代表されるー『源氏物語』の中に日本人の古来の感性を見ようとしたことも人口に膾炙している話であろう。
(私は正直、折口信夫のような同性愛者が、『源氏物語』を高く評価し、その講義を長くしていたことが意外であったが)
しかし、国学による注目以前に、そもそもそれほどの「悪書」であったならば、なぜ『源氏物語』はここまで多くの人に読まれ、現代に至るまで様々な解釈や研究、そしてパロディがなされているのか。それを説明するのは難しい。
だけど、その糸口として折口信夫の『反省の文学 源氏物語』は興味深い。すごく短いうえに折口としては非常に読みやすい話なのでおすすめだ。
さて、石山寺と言えばもう一つ。国宝の多宝塔も見ないわけにはいかない。
石山寺の多宝塔は鎌倉時代の建久5年(1194)、源頼朝の寄進により建造されたもので、現存し、なおかつ建築年代が明らかなものとしては日本最古の多宝塔となる。
平成23年(2011)から翌年にかけて「平成の大修理」を実行し、装いもいっそう美しくなった。
こうして石山寺の旅は終わった。琵琶湖から流れ出し、宇治川と名を変え、果ては木津川、桂川と合わさって淀川として大阪に至る瀬田川越しに琵琶湖を見ながら、山を下った。
石山寺しか行ってないが、県庁所在地なのに、妙にこじんまりとした、落ち着いた大津の町は大変良かった。
琵琶湖が見える大津駅前で名物の「近江ちゃんぽん」を食べて、私たちは京都へ向かった。
大津も『源氏物語』ももっともっと詳しくなりたいと思った旅だった。
★おまけ
石山寺に設けられた大河ドラマ館の隣(普段は石山寺の世尊院)では「恋するもののあはれ展」なるものがやっていた。最初、それがなんだかよくわからずに入ったら、なんかPOPミュージックが流れ、アニメ調のイラストが展示されている。
最初は「あっ…こういう感じ…」っていう印象だったが、展示されているイラストが綺麗だったのと大津の町の風景を題材にした物語がとても良く、感動的だった(当然、『源氏物語』が題材)。私ほどの者(鈍感で愚鈍)でも感性をくすぐられるとは、まさに「もののあはれ」。『源氏物語』の恋を現代に置き換えたストーリーが切なくも素敵。ただ、最後は少し悲しい(葵の上の死がモチーフ……?)。
▼今、若い人たちに大人気のミュージシャン「あたらよ」がこのために作った歌もよかった(早速LINE MUSICのプレイリストに入れた)。
このような方向性での『源氏物語』の再発見はとてもいい取り組みだと思う。これがきっかけで若い人たちがもっと『源氏物語』に興味を持ってくれて、ひいては大津の町にもっともっと注目が集まればそれはとても素敵なことだと思う。
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