室生寺その1(宇陀市)
(前回)
どうやら電車とバスを一本前倒しできそうだ、ということになり、長谷寺駅へやや急いで戻る。やってきた名張行きの急行に乗り、12:53頃、室生寺への最寄り駅となる室生口大野駅へと到着した。
バスの出発は13:00。当然、鉄道との接続を考慮されたものとは思うが、慣れない地で乗り換え時間が7分ということで多少焦る。
しかし、おそらくこの急行で降りた人のほとんどが室生寺への参拝客と見え、みなバス乗り場へぞろぞろ続いていく。私たちはその波の序盤で乗るべきバスを探した。
が、慌てる必要なくすぐに乗るバスは見つかった。なにしろ閑散とした駅前広場に、バスは1台しか止まっていなかったのだ。
バスは奈良でお馴染み奈良交通。行先表示板(LED)にずばり「室生寺」行きと書いてあった。
電車から降りた参拝客は一目散にこのバスへ向かう。
この日は平日ではあったが、バスの座席はほぼ満員となった。
バスに乗り遅れまいと、多少焦りながら参拝客たちが後ろ扉から慌ただしくバスに乗り込むと、お手洗いにでも行っていたのか、乗客たちとは対称的に徐に運転手さんが運転席に乗り込む。
なお、駅前にはタクシーも2台待機していたから、もし電車とバスの時刻が合わない時間帯やバスに乗り遅れたらタクシーも使えるのだろう。
インターネットの情報では室生口大野駅前はタクシーもほとんどいないと聞いていたが、今は紅葉のシーズンだからか、ちゃんとタクシーがいた。
バスは定刻通り発車。
約7km、20分ほどの道のりをゆっくり走っていく。駅前から国道方向へ向かう道は狭い住宅地の道で、大きなバスの車体はゆっくりゆっくりと進んでいく。
途中、大野寺の門前ではバスの運転手さんがガイドをしてくれて、川を挟んで見える摩崖仏を眺めたりした。
国道165号をくぐって、室生寺へ向かう県道へ入ると車窓は一転して宇陀川や室生川の川沿いの山道を延々と走ることとなる。
道は細く、対向車を注意しながらバスはゆっくりゆっくり進む。
途中、後続の乗用車に道を譲ったりしながら、のんびりと走っていく。
景色はどんどん山深くなり、人家は見えなくなる。
期待していた山深いところにある室生寺への期待が高まる。
走り始めてからだいたい15分ほど。バスはやがて駐車場や店などが立ち並ぶ少し開けた場所の川沿いに唐突に止まった。
ここが終点らしい。
バスの運転手さんが室生寺はここから歩いて左の太鼓橋を渡ったところだと、アナウンスをしてくれる。
もっと山深いところにひっそりとある寺を想像していた私は、この門前町を形成したこの景観にいささかがっかり(?)。
とはいえ、この先に室生寺が待っているのだと思うと足取りは軽い。
バスの運転手さんが言っていた太鼓橋を渡る。両岸には土産物屋や飲食店、そして旅館が立ち並ぶ。
太鼓橋の上流側はちょっとした温泉街のような景色。手前にある旅館はとてもいい感じで泊まってみたい。どこか伊豆の湯ヶ島のような光景だ。
もっとひっそりとした山寺を想像していただけに、この観光然とした感じは違和感というか、ギャップが大きかったが、こうやってみると、これはこれでなかなか良い景色だ。
こうしてついた室生寺。さっそく別称の「女人高野」の石柱がお出迎え。
女人高野の称は、真言宗の総本山がかつて女人禁制であったのに対し、ここは女性でも参拝が許されていたことからできたものである。
そんなことはとうに知っていたが、それ自体が江戸時代からそうなった、ということは知らなかった。
なんでも江戸幕府の5代将軍綱吉の生母、桂昌院が堂宇を寄進したことがきっかけなんだとか。
まあ、でもそりゃそうだよね。
かつては典型的な山岳寺院。山に籠って修行する密教の僧侶たちのいる空間に女性がいたのではねぇ…
さて、拝観券を買うと、この仁王門前の広場に出る。
写真の左側に休憩所や授与所、そして最近できたばかりの宝物館などがある。
なお、トイレはここから先にはない。
しかし、この仁王門。古いようには見えない。江戸時代くらいの建築か…と思っていたら、なんと昭和、しかも戦後の建築。
江戸時代に焼失したため、昭和40年(1965)に再建されたものであった。
さあ、音に聞く国宝の金堂と五重塔へ!…がその前に錦秋の紅葉が私たちを出迎える。
あでやかな紅葉の中を抜け、石段を上がっていった。
(つづく)
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