見出し画像

なだめること、ケアすること

「助けて」とSOSを出されたときに必要なのは
なだめること? それともケアすること?

「助けて」とSOSを出した人に必要なのは
なだめられること? それともケアされること?

「助けて」というSOSを受けた人ができるのは
なだめること? それともケアすること?


「助けて」とSOSを出した人をどうすれば「助けた」ことになるのかを考えたいと思います。

昨夜、日付が変わってから、午後4時にはじまったフジテレビの会見が終わりました。途中から見始めたのですが、あまりにもしんどくて早々にモニターを切り替えました。質問のために挙手する記者たちの熱気と、それに答えるフジテレビ幹部の温度差…こういうおじさんたちが意思決定の場に居座り続ける限り、日本は政治も企業も教育研究機関も変わらないのかもしれない…そんな絶望に近いものを感じました。

ジャーナリストの柴田優呼氏のXに会場の様子が投稿されています

大手メディアの記者は会場が開くまで、社屋の中で待つことができ、フリーランスなど大手に属さない記者は社外の吹きさらし(お台場ですからさぞかし寒かったと思います)の中待たされたとも書いてありました。そのうえ、会場内ではあたかもフリーランスに配慮したかのようなこの配置。あたかも「公平性」に配慮したかのような当て方。これでは記者たちだって感情的になったり、気持ちをぶちまけたくなっても当然だと思います。それでも声を荒げると激しい反発をまねく。

会見すべてを見てもいないわたしが口を挟むことにすら、抵抗を感じる人もいるでしょう。でも、言わずにはいられない。

望月衣塑子記者の質問、質問というより追及、わたしは流石だと思いました。

会社役員たちの答えは…なんとも歯切れが悪く、もやもやします。

これまでの報道からわかる経過と会見を通してはっきりしているのは
・被害者はかなり早い段階で相談していた
・会社側は被害者に配慮して対処してきた(つもり)
・被害者はPTSDがひどく日常生活もままならく入院もした
・加害者は9千万円の示談金を支払った
という4点。それ以外のことは調査委員会で調べるそうです。

もやもやしつつ、会見を見るのをやめて、でももやもやが残ったまま床につき、もやもやしたままぼんやり眠気が生じたところで、この感覚知ってる、あれだ…と思い出したのが

親や学校の先生からの性虐待に対する大人の反応

へたに荒立てるとこの子も傷つく
家族がバラバラになる
お父さん(先生)が解雇される
家族に犯罪者がいていいの
あの人がそんなことするわけないじゃない、あなたの勘違いよ
過去のことは忘れて前を向こう 
早く忘れたほうがあなたのため

と、自分の世界の平穏を保つために「荒立てない」「波風たてない」ことを選び、それが被害者のケアになると思い込んで、「助けて」というSOSをなだめようとする。

そんな例をたくさんみてきました。
子どもに対してだけじゃありません。職場で起きた性加害を管理職に相談した人も同じような目にあってます。「大したことじゃない」「奥さんも子どももいる人だから…」「(彼はあなたのことを)好きだったんじゃないの?」などなど。こうした疎外感や孤立はとても毒性が高くて、その後の人生に大きな影響を及ぼします。アレルギーがひどくなり化学物質過敏症を発症、自己免疫疾患を発症、そしてセラピーを受けに来られるのです。

世界中で何万回も繰り返されてきた「なだめる」。
これが被害者にとって二次加害だという認識は#MeToo 以降急速に広がって、多くの人に共有されるようになりました。ただし、おじさん以外。

フジテレビの女性アナウンサーが上司に被害を相談した。
相談を受けた上司は、おそらく本気で「ケア」したことでしょう。
でも、その「ケア」は「なだめる」だったことは想像に固くありません。
それが、あの会見での表情にあらわれていたのです。
それ以外にあの「怒り?うーん、なんで?」という間や表情は納得できません。

望月記者の怒りに震える声は、「なだめられ」てきた幾多の被害者の思いを背負ってだったのかもしれない。
役員たちの「なんで?」という表情と間はおそらく「中居氏のせいで会社の信頼が失われたことには腹立つけど、、、したことは、俺達が怒るようなことかな?」という、加害者側に立って、二次加害をする人たちのもの。

だからこそ、PTSDをこじらせ、夢を諦めることになってしまったのかと想像します。加害したのは中居氏だけではない。「なだめ」ようとした上司たちは二次加害をしたのだ。

幹部は中居氏にも聞き取りを行っていることを明言していますが
「うちの社員からこんなことを聞いたのですが、
 そんなこと無いですよね〜w」
というトーンで聞かれたら
「そんなことするわけないでしょ〜♬」
となりますよね。

虐待の現場でもよくあることで「お子さんからこういう訴えがありましたがどうでしょう」といわれて「すみません傷つけてしまいました」と素直に認める親はまずいません。「してません」「あの子には虚言癖がある」「しつけです」というような話は「信じるに足る」証言として認められ、子どものSOSは「なだめ」られて被害は継続するのです。声を奪われ、不信感をつのらせ、孤立を深める子どもが今もいます。

望月記者の刺々しい怒りに満ちた追及には、賛否両論あります。否定的な意見が多いことも承知しています。でも、わたしは彼女があの場で「怒り」をテーマに追求してくれたことを称えたい。

人権侵害が起きたとき
侵害された人は大きな痛みを感じる
「痛い」「やめて」と言っても伝わらないこともある
「痛いことをされました」「助けて」とSOSを出す
それを受けた人はまずその痛みに共感する
あなたに起きたことは「人権侵害」だと確認する
加害者がしたことは「人権侵害」だと認める
その「人権侵害」がふたたび起きないよう
加害者に「それは人権侵害、してはならないこと」と伝える
被害者がどうすれば安心・安全を取り戻せるかを一緒に考える
安心・安全を取り戻すまで孤立させない



人権侵害をする加害者に対して怒りが湧かない理由として
「自分は痛みを感じていないから」
というのはあるでしょう。
加害者との利害関係にヒビがはいるのを防ぐ反応かもしれません。
自分の痛みとして感じられない、そして、加害者との利害関係を維持したい、このふたつが重なると、自動的に、なんの悪意もなく、「なだめる」がケアだと思えてしまうのでしょう。

ロバート・キャンベル氏が指摘するように「無策」だったのにその自覚はまったくない。でも、あのプロセスが「無策」に見えるのは、痛みを共有できる「壁と卵」だったら卵の側につく人であって、壁と一体化している人は「できる限り精一杯やった」という気持ち。

6:41:40あたりから柴田優呼さんの質問です。この中で「加害者が何事もなかったようにテレビに出ているのを見ること自体が二次加害」とおっしゃってて、よく言ってくれた(TдT)と感じた人も少なくないと思います。

被害者はなだめられ、孤立し、口を塞がれる一方で、加害者は何事もなかったかのように日常を過ごしている。これは、学校でのいじめ、職場でのセクシャル・ハラスメントでも起き続けていること。

どうして被害者が排除されなくてはならないの? 被害者がその場の「調和」を乱したのではなく、加害者が被害者の調和を乱したんだよね。

被害者を助けるためには、加害行為を止めさせなきゃダメだよね。
加害行為を止めさせるためには何をしたのかを調べ、
それがどうダメなことなのか加害者に認識させ、
再発しそうなら加害者を取り除き、
被害者の安全安心を取り戻す…それがその場の調和を維持する方法なのに、被害者を排除してなにもなかったフリを続けるから次の被害者が出る。

「荒立てない」「波風をたてない」加害者「なだめる」行為は
被害者のケアにならないどころか二次加害です


・人権侵害をしたことを加害者が理解し
・周囲もそれを認識し
・なんらかの制裁、教育、治療を必要に応じて行い
・再発防止のための具体策を実施し
・被害者が安全・安心を取り戻す支援を継続的に行う

という加害が起きたときにすべきことを確実に実施するには、暴力を防止するための「啓発」「介入」「治療」という3つの分野の専門家がそれぞれ必要です。たぶんフジテレビの幹部たちはこれをわかってない。だからコンプライアンスも無視しちゃった。というか、これを理解してハラスメント防止の対策をしている組織ってどれくらいあるのかな。


<暴力への対応と再発防止について>

被害の申告があったときはまず「介入」の権限をもつ専門家が動きます。このとき、被害者の話を聞く人と、加害者の話を聞く人が同じであってはいけません。別々に別の空間で話を聞いて、事実関係を確認します。被害者の安全は最優先事項です。

事実関係の確認で加害行為がはっきりしたら、被害者は「治療」の専門家につながりケアを受けます。安全・安心を回復するまでサポートは続きます。

事実関係で加害行為がはっきりしたら、加害者は「啓発」の専門家から繰り返さないために再教育の機会を、必要ならば「治療」の専門家から繰り返さないために治療を受け、裁判などを通じて罰を受けます。

啓発・介入・治療それぞれの専門家は、プロセスの中でわかったことを総括し、社会全体への「啓発」に役立てます。

以上が「仕組み」として機能していなければ、暴力、人権侵害、たとえば子どもの虐待、DV、などに適切な対処はできません。でも、そのコストを日本の政府も企業も出し渋る。なぜか。

「なだめ」ればこれまでなんとかなってきたし、そのほうがこれまで通り、利害関係を維持しやすいから

ですよね。

くそくらえです。

そういうおじさんたちには意思決定の場からご退場いただき、
「人権」を大切にできる人に変わってほしい。

「人権」ではなく「利害関係」やそれを守るための「なだめる」を優先してきたことを白日のもとに晒してくれた望月記者と柴田記者にあらためて拍手を送りたい。

今日もめんどくさい文章に最後までおつきあいくださり感謝♡

いいなと思ったら応援しよう!