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装甲悪鬼村正──感想文。善く生きることのなんと難しいことか

先日、ニトロプラスのゲームが珍しくセールだったので、評価が高いと聞いていた村正を一気に読了しました。長いし濃いし、言葉も出ない状態だったんですけど、流石にこれ以上放置すると感想を忘れかねないので書きます。

注意

  • 装甲悪鬼村正のネタバレを含みます。

  • 私が作品から受け取ったものについて語ります。私自身の思想・他作品への言及が混ざっています。

面白さ的な部分について

万人がやれ。
ニトロプラス=鬱ゲーという偏見を持ってたけど、村正は鬱ゲーではない。
ただただ主人公が不憫なだけ。
騙されたと思ってちょっとやってみて欲しい。

この作品の辛い部分は、全部、辛いことを楽しむために書かれてるわけじゃない。ギャグパートが面白くてもコメディ作品じゃないし、恋愛パートが濃くても恋愛物とは限らないでしょ。村正もそう、テーマ上必要な辛さだから

全体を通してロボ系の戦闘シーンはカッコいいし、随所にギャグが挟まれるのですげぇ読みやすいし、お話として面白い。
まぁ……平穏な日常はその後の窮地を読ませるための給水ポイントなんじゃけども。
そんな感じで、物語の長さとしても濃さとしても、長い作品だったけど、かなり読みやすかった。
その上、最初から最後まで善悪相殺たっぷり
繰り返す。
万人がやれ。

あと、茶々丸ENDのその先をもう少し見せろ
茶々丸をもっとください

村正のテーマについて

さて
真面目パートとして、村正のテーマについて話していきますか

善悪相殺だの正しさ、正義、人を殺すこと

その辺はもちろんテーマだし、1つ1つを切り出したら、既存の戦争物だったり(私は戦争物詳しくないけど)、惨劇物にありそうな主張がいっぱい登場する

でも私が受け取ったのは
真面目過ぎるせいで卑しい生を受け入れられなかった1人の男の話
ただそれだけだと思う

村正は最初から最後まで善悪相殺たっぷりで
それはつまり
絶対的な正義の否定だと思うし
それは裏返せば善悪相殺すらも正義ではないということで

作品の主義主張としては
〇〇はダメとか△△は大事とかあると思うけれども
村正の主人公こと景明が思い悩み続ける人であったように
そんな快い主張を、装甲悪鬼村正という作品はしない

ただ確かなことは、景明という一人の男がいて、いろんなことを悩みながら人を殺していくという部分だと思う

正直に言うと
善悪相殺は間違ってる
正直、景明は間違いに目をそむけて、過去を見ないふりをして、浅ましい一人の人間として生きてよかったと思う
その方が周りの人間的にも幸せになれたんじゃないかって

悪の魔王だって事情があるんだと言うように
景明はそれだけの事情があったんだし

敵をも救うっていう甘い話があってもいいんじゃないかって

でもそれは、装甲悪鬼村正という物語ではありえない

ありえないからこそそういう主張をしたい

Fate の衛宮士郎もそんなことを言ってた
間違いなんかじゃないんだからって

私は装甲悪鬼村正という戦争ものを読んで
今まで読んできた作品よりも、もっと酷くて、善も悪も割り切れない物語を通して、その上で、その上で、景明だって人並みに低俗な幸せに浸ったって良いと言いたい

綺麗事だとしても

装甲悪鬼村正を読まずに
(あるいは、そういった微妙で救われないケースを考えないで)
軽い気持ちで、敵も味方も救われて良いとか、罪は償えるとか、生きたっていいとか、表面的にそんな正義を歌っていたら偽善で低俗なものだと思ってしまうけども

でも、装甲悪鬼村正を読んでもなお、私は、人を殺してしまった人間でも幸せになったっていいんじゃないと思うよ

というか

読んだあとは何が正義かとか
善も悪もないんだなとか

そんなことよりも

ずっと、景明が救われるにはどうなればいいのかばかり考えてしまった
いやほんとに

正義や戦争に限った話ではない

結局、私が主人公の景明にそれだけ思い悩んでしまうのは
自分にも近い部分があるからだと思う

景明って自分の中の「そうであるべき」っていう規範のために
自分の幸せとか
近くにいる自分の幸せを願う人を置いてけぼりにしてる

私含め、フィクションや書物から人生を学んでいる人はこれ刺さると思うんだよね。そういうのに出てくる信念とか良いなーって胸に抱え込むんだけど、現実の問題って、もっと、卑近で矮小で、ごちゃごちゃしてて、思ったより社会って低俗な仕組みで動いているというか……とにかくやらなきゃいけないというか……頭の中で思い悩んでも仕方ないし、世界のあるべき姿って本当はないんじゃないかって

これは結構その通りなところがあって
そういうノイジーな現実に甘んじられなければ、身の丈に合わない巨大なものを背負って救えないことになっていくんだよな

母親が死んだときにそのまま塞ぎ込んで引きこもれば良かったし
村が銀星号に滅ぼされた時点で湊斗の家も何もないんだから義兄であることをやめることもできたし
銀星号を討った後に自死しても逃げ出しても……逃げるのは雪車町が許してくれなかったか……それにしたって、雪車町の煽りに真摯に対応する必要なんてなかったし
大体橋の修理も1度拒絶されただけで、全然修復可能な感じだったから、諦めずに善行を積もうとすればよかったし

いやでも、それができないお話なんだよなと

神の視点から見て可能でも
自分のなかの理屈が許さない

いやしかし
意地を失って大きなことが為せるのか
大きな責務を背負えるのか

だから私たちに大義としての正義はなく
一身上の都合により生きていくしかないのではないか
(物語シリーズの忍野もあるのは都合だけだって言ってる)

実際そんな景明だからこそ、物語で周囲に与えた影響も大きいけれど

私たちは第二の景明にはなってはならない
殺し殺されなどの世界に生きていないのだから

この現実に善悪相殺は不要である

それでもなお、残酷な物語を好んで読むのは

H×H の「あらゆる残酷な空想に耐えておけ」
という教えのせいなのかもしれない

まぁ戯言だけど
(まったく、あの戯言遣いすら家庭を持って幸せそうにしてるのに)

まぁ結局、私は宵闇の中で必死にもがき輝く月光のようなものが好きなのだ

長くなってきたので今日はこの辺で
ではでは

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