見出し画像

【服で通じる台湾歴史】皇民化運動と着物推奨






玉響きもの喫茶部オープンしてから一年ほど経ちました。
 
ぶちゃけで言い、ほとんど客が来ないです。
立地が悪い?プランは魅力がない?値段が高い?
 
自分の腕と用意した着物とも自信があるのに、その原因は?
いろいろ考えや試行錯誤をし、未だに模索中。
 

台湾の伝統衣装ってある?



「台湾できものをするより、台湾の伝統衣装してみては?ほら、京都や韓国行ったら着物や韓服体験するじゃん?台湾には伝統衣装ないの?」
 
日本人の友達がこう言ってくれました。
 
台湾の伝統衣装か…確かに、考えたことありませんでした。
この一言で台湾の伝統衣装とその歴史について趣味が湧いて来ました。勉強として図書館に《台湾服装史》とういう本を借りました。
 
この本を読んで、驚きました、なんと台湾で着物着用を推奨したことがあります!
 

台湾は日本の一部の時代があった



話変わりますが、台湾は昔、日本に統治された時代があること、ご存知ですか?
中国が日清戦争に敗北、下関条約により、台湾と中国山東省とともに、日本の植民地になりました。そして、1945年終戦まで、五十年間ほど、台湾は日本の傘下になっていました。
日本統治の後期、満州事変の発生とともに、台湾人も日本人と同じ、天皇へ忠誠を捧げるのため、「皇民化運動」が展開されました。
「皇民化」、つまり、「台湾人は正真正銘の日本人になる」とういう意味でした。
 
「皇民化運動」は1937~1945年終戦まで台湾地方で実行しました。
内容はざっくりで言うと、家庭内での日本語推奨(当時の台湾人、公的な場所で日本語話すが家では河洛語または客家語を)、文化風習や娯楽など、一切日本式になるようにしました。
 

着物は台湾には不向き



そして、衣装も。
総督府は衣装に通して台湾人が日本人になると信じてたようです。そのため、従来の台湾衫の改正のほか、着物着用にも推奨しました。
 
だけどなかなか広げられなかった。一番の理由は、着物は動きづらくて数枚重なって着なければならな形で、天気が暑い台湾には不向き、その上、着物の敷が高くてますます広げなくなりませんでした。
 
その結果、終戦とともに、着物も素早く台湾民間に消えてしまいました。古い写真を見ても、着物着てるの女性姿は少なかった。
なるほど。納得できます。それでも、着物喫茶が続くの?
そもそも台湾の伝統衣装と言える「台湾衫」って何なんですか?
 
次の記事に紹介します。

1921年代女性2人の写真。
右側の少女は中国式の服だが
左側のは紋付きの着物に袴姿
/葉立誠•台灣服裝史より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?