中学の部活動(ただし体育会系)~昔の話

僕が中学の頃は、学校で生徒全員が部活への入部が義務付けられていたため、結構部活動が盛んだった。特に体育会系の部が強く、文化系の部は落ちこぼれのように見られていた気がするが、当時の事は忘れてしまった。

僕の場合、本当は吹奏楽部に入りたかったのだが、両親が運動部へ入るよう言われていたので、嫌々ながら体操部を選んで入部したが、これがまた大変だった。
何しろ授業の前に朝練があって、放課後もみっちり練習。土日も練習。つまり休みなし!
どの体育会系も同様だったようである。

僕は発達障害持ちで運動音痴であり(大人になって知ったが、発達障害は運動音痴が少なくない)、結局逆立ちすら出来ずに終わった。
先輩からはトロい奴だといじられ、結局我慢できず2学期の初めに転部した。
なお、転部自体、学校内では恥ずかしい事のように思われていたように記憶している。

体育会系は先輩後輩の上下関係が著しく厳しい。馬鹿みたいに厳しい。どの部も一緒。
こればかりは最後までなじめなかったし、間違っていると思う。
これは女子の体育会の例だが、先輩が後輩の前を通ると、後輩はひたすら「こんにちわー、こんにちわー」と、90度に頭を下げて敬礼して挨拶しなければならなかった。その異常さが分かるというものだろう。

こうした理不尽な上下関係は、考えるに昔の兵隊生活から来ていたのではないか?と思う。
戦後、兵隊帰りの教師たちが軍隊式の教育を持ち込み、その教育を受けた団塊世代の教師がまた似た教育を繰り返す。そういう経緯があったのだろう、多分。
高校の例だが、今はなきPL学園野球部もそうだったらしい。

その後、最初あこがれだったはずの吹奏楽部はやめて、絵を描くのが好きだったので美術部に属していた。だが2年生に不登校になったため、まあ学校でただ一人の帰宅部員となった。
卒業式の日、最後の部員集会があったが、僕は後輩の顔を知らないし、後輩も卒業時のメッセージに「先輩とは会ったことがありませんが」と書かれる始末だった。

補記
もっと書くつもりでいたのですが、話がまとまりませんでした。

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