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2024年10月20日 変わりどき
サドの作品に『美徳の不幸』という作品があります。『新・ジュスティーヌ』という改訂版の原本みたいな位置付けの作品じゃなかったかと解釈しています。
30代前半か半ばごろに新・ジュスティーヌを読んで、じゃあ次はコレの大元になってる「美徳の不幸」を〜と読み始めたら、
しょっぱなから陰惨な雰囲気漂う作品で、黴臭さみたいなのが文面からひしひしと伝わり、読んでいくうちに、ついてねぇなあと思えるようなプチ不運みたいな出来事がぽつぽつ起こりはじめ、
うわ運気おちたわー
と感じたので焦って読むのをやめた
ということがありました。文庫本数ページぐらいのところでこの威力。サドも澁澤龍彦もよく平気だなと思いました。
ただ同調しなければいいだけの話なんですけど。
今現在、わたしには「自宅」というものが存在しなくなりまして、店で夜遅くなり翌朝早い場合は店で仮眠を取らせてもらい、そうでない時は車に寝具を積んで寝るか家族宅の一角で眠らせてもらうか、という生活スタイルになりました。
先日、店内の物置スペースと化してしまった、食器、樽、何か漬ける用のガラス瓶、お弁当容器などでいっぱいのお座敷部分で眠らせてもらって、翌朝目覚めると同時に
(そなた随分と自分を低く見積もっておるのう)
と話しかける言葉を感じました。多分藤原鎌足どのだろうと思いました。
以前、千葉県で気になった神社に行ってみたときに自分の過去世のひとつが耳面刀自(みみもとじ)という方の娘らしい、という情報をインスピレーションで得たことがありましたが、その、みみもとじおかあさんのお父上が藤原鎌足です。
その声を感じたときに美徳の不幸の感覚をちょっと思い出しました。
藤原鎌足どのは、もっと快適な生活を自分自身に許しなさいという意図で言葉をくださったのでしょう。
この方に話を聞くたびに
堂々としていなさい
と言われます。
今のわたしのこの状況というのは、物心ともに極限の断捨離を余儀なくされ、ギリギリのところまで身軽になることをお膳立てしてくれているのです。
見えないチカラが、そう働きかけてくれています。なんて恵まれているんでしょう。
そうなんです、わたし今未曾有の大チャンスのさなかにいます。
そんな環境を与えられた中、
数日前に、とても落ち着いて物事を達観していらっしゃる知人のYさんが、わたしのことを
お金のブロックって、もう "ない" んじゃないかな
ってメッセージくださったんですね。
すごくありがたかった。
それで、そうなのか、やっぱり問題はそこじゃなかったのかと確信が持てました。
Yさん本当にありがとうございます!
じゃあなんでお店の売り上げが低かったり、わたしの人生ではお金がきちんと循環していないのかと推測すると、おそらくいまだに怖いのでしょう。
何が怖いのかと申しますと、吉本隆明が言うところの共同幻想、集団意識っていうやつなんだろうと思います。
わたしの場合ですが、
・ご先祖が遥か昔に地域で庄屋というのか名主というのか、そんな立場だったと聞いています。
・過去世のひとつでは、わたしは小さな小さな藩の殿様だったことがありましたが、地元の産物をじゃんじゃん近隣の藩に売りまくらないといかんという家臣に反論しつづけ、挙句、罪人とすり替えられて処刑されてしまったことがあります。
すごく悔しかったソレ。家臣たちが裏で手を組んで仕組んだことなのですね。
だってただでさえ民衆は地元で収穫された魚(海沿いのエリアでした)や農産物を満足に食べられていなかったのに、じゃんじゃん他所に売っちゃうの、ひどいって思ったのです。
・ほんの一瞬、クフ王の、さみしいさみしいパラレルを体験した記憶も出てきたことがあります。
王の謁見の広場に出ていくと、その頃は王の信頼もだいぶ下がり、集まった人々もほんのパラパラでみじめなものでした。それでも集まる民がおる、わたしは王なのだ、わたしは王なのだ、と自分に言い聞かせて何とも言えない屈辱と自尊心の入り混じった感覚が込み上げていました。
など。
自分で自分に、
どうしてお店がうまく経営できないんだと思う?
と何度となく聞きましたら
やだ成功したら ねたまれる
という返答が返ってきていました。
おそらく上記に書いたような、今までの経験が影響しているのだろうと思いますが、本当は人の立場や状況、状態、環境などには、上も下も優位も劣位もないのだと理解していなかったのですね。
去年、稲盛和夫さんからビジネスアドバイスをいただこうとチャンネルを合わせてみたら
「そらそうや、キミ、ビジネスのいろはも学ばんとそない始めたら大赤字になるの当たり前やないか。
せやけどおかしいな、ほんまはキミ、簡単に
ガーーーっ
と行けるはずなんやけどな。
キミを、ガーーーっと行けなくさせているのはなんや。」
というありがたいお話をしていただいたのでした。
すぐに何のことか思い当たりました。
ガーーーって行けなくさせているのは、
成功したらねたまれる
という思い込み。です。
すぐ思い当たったのに、そこの部分を
そんなことはない
と意識を変えるのに時間がかかっています。
何世紀も何世紀も、そんなことを蓄積してきたのですから、なかなか簡単に軽くならないものです。ちょっと時間がかかりました。
でも、10日くらい前からようやく自分の中から光を出すイメージがきちんとできるようになりました。
光の中に観音さまみたいな存在がいてくれましたが、それが今朝、木花咲耶姫さまにバトンタッチされました。
また、こんな時でも、そしてこんなわたしにも、応援してくださったり、手を差し伸べてくださる方が何人もいらっしゃって、
人のこころの働きの美しさ、愛おしさ、素晴らしさ、ありがたさ、そういう明るいエネルギーを感じて生きられることを、本当に感謝申し上げます。