時間を超えて子どもに会いに行く
時間を超えていく感覚に、どうも慣れない。皮膚が泡立つ感覚は、寒さを感じるものに似て心の奥に不安を伝えてくる。
それでも、時間を超えた先にむかうなら、この乗り物で向かうしかなく。ぶつぶつが浮かび上がる腕をなでながら、到着を待つ。
今回、跳ぶのは数年。窓の外は薄く細く光におしこめられた風景が流れていく。これほど美しい景色なのに、居心地はすこぶるよろしくない。
過去へ向かう旅だからこれくらいの居心地悪さですんでいる。未来に向かう旅のときは、不確定な景色たちがたくさんの粒になり、暴れるように窓の外を流れていく。それをみていると、めまいがする。居心地の悪さは過去に向かう比ではない。できれば未来へは跳びたくない。未来に向かう仕事がありませんようにと願う。
ぞわんと寒気がやってきて、ぴりっと皮膚が一瞬しびれる。その感覚がきたら、ようやく目指す過去に到着だ。
今回は、数年前に亡くした子どもと遊んでくるという、お子さんのご両親からのご依頼。入院中、ずっと病室から出られなかった子どもに遊んだ記憶をプレゼントしたいというご要望だ。
わたしが子どもと遊べるのか。子どもに好かれそうな見た目を持っていない自分に不安はあるけれど、それでも遊ぶしかない。病室から出ずに、何をして遊ぼうか。文字を書くのが好きだと聞いたから、ノートとペンを持ってきてみたけれど……
父親の友人であるという設定で、病室をたずねる。子どもが居るはずのベッドは空っぽ。
どこにいったのだろう。
ぱたぱたぱた。後ろから軽い足音が近づいてくる。随分と身軽で、元気のよい足音。
きょうは元気なのかな、少しゆっくりあそべるかな。
映像でみたきり、まだ会ったことのない子どものことを思う。これから、亡くなるまでの半年で、自分は何をしてあげられるだろう。どうやって遊べるだろう。
この子どもは、たぶん、自分にとってのまぼろしの子どもだ。妻のお腹の中で亡くしてしまった、会うことのなかった子ども。
もし、この子がじぶんの子どもだったとしたら、どう過ごしたかっただろう。
そう思うと気が楽になった。依頼主の思いをくみ取りながら、自分の願いをこめて時間を共に過ごす。それならば、自分にもできるかもしれない。
そう思いきれたころに、小さな手がそっとわたしの腕に触れた。
「おじさん、どこから来たの」
子どもと目をあわせようと、振り返りながらしゃがみこむ。
---で目が覚めた。わたしの身体はバスの中。ふとしたうたた寝でみた夢。
そこから、どうなっただろう。続きが気になりながら、目が覚めた。
わたしは男性になっていて、時間を超えていく仕事をしていたらしい。子どもに会いたかった、子どもと過ごしたかった。そんな思いが夢に出てきた。