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恥ずかしさを残した自分

今日は珍しく、平日に夫の休日が重なった。わたしの平日な日常の横で、夫の休日がはじまる。どこかこそばゆい一日になった。

いつもなら、適当に机にすき間を開けてはじめる書き物も、お行儀よく片づけてからはじめてみたり。適当に冷蔵庫の中のつくりおきを盛りつけただけでおわる昼食も、ちょっとだけ汁ものつくってみたり。ほんのちょっと、お行儀よくしてとりつくろって、一日を終えた。別に、夫がずっとわたしの日常を見張っているわけではないのに、ね。

脱力しっぱなしの自分を、夫にみられるのは恥ずかしい。そのままで過ごしている自分を見られたら、あきれられると思ってたみたい。まだ、恥ずかしさを残していた自分をみつけて、ほほえましく感じた。

ああ、わたしは夫にも「いい妻」でありたかったのか。だれも見ていない家の中で、頭ぼさっとかきむしりながら資料よんだり、書き物したりして。適当に自宅でもの書いている私の姿は、「妻」としては恥ずかしいと自分で思っていたようだ。

まだ恥ずかしく思える自分がいたことをみつけて、ほほえましかった。「いい妻」のあるべき形にまだこだわり持っていたことに驚いた。

明日は、いつもどおり、夫は出勤し、わたしは自宅でごそごそ書きもの。「いい妻」にはならないけれど、お互いに話の出来る夫婦でいよう。

この週末には、ほんのちょっと片付いた机の上で、気前よく資料たちを開けることができそうだ。

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