小さなわたしが、彗星にのって現れた
ちょうど春休みの頃合い。けれど早めに学校が強制終了されたからか、いつも以上に、アニメや教養についての動画プログラムの無料公開が多い。
その恩恵にあずかり、自宅での仕事中、音を小さくしぼって動画をながし、ときおり聞き耳をたてている。
今日のわたしは「宇宙旅行へ向けての訓練」をうけている設定で、過ごしていた。うしろで流す音声も、星にまつわるものを選んで流し続ける。その一節が、ふと耳に届く。
「ハレー彗星は、およそ76年に一度、地球上から観測できます」
流れ星。ほうき星。星に願いをかけるなら、彗星にがっつり祈りを届ければいいかしら。
ほうき星は、強い運命を表す天体。むかしの王様の代替わりや政治不安を表していると、星読みされていた時代もあったっけな。
「次、わたしたちがハレー彗星に会えるのは、2041年になります。そのころ、わたしたちは何をしているでしょうか」
!
突然、涙が落ちてきた。
小学生だったわたしがハレー彗星をながめた夜。その記憶が、わたしを揺さぶる。
「次、ハレー彗星がくるときは、たまこはどうしてるかな」
「よぼよぼおばあちゃんになって今夜のことを思い出話にしてるかもね」
冷たい空気の中で、小学生だったわたしの身体に届いた母の声を、突然、思い出した。
たしかに、あの夜。
わたしは、母に愛されていた。
うちは母子家庭だ。わたしが4歳の頃から、妹と弟とわたしを抱えて、それでも母は元気に働いた。わたしも5歳から、おとなのつもりだった。母が望むような、子どもらしい子どもにはならず、大人が子どもの形をしているような奇妙な「わたし」がしあがった。母は、条件付きでわたしを愛していた。
年度末に忙しくなる母の職場。夜、母と過ごす時間はない。弟や妹たちは母が戻る前に寝てしまう。10歳を過ぎてる長女のわたしですら、寝てしまってることも多い。
そんな忙しさの中でも、子どもたちにたのしかった思い出を残したいと、母は1986年当時に話題となったハレー彗星の観測をおもいついた。職場から、天体望遠鏡を借りてきて納屋の深い屋根の下にすえた。
そして、ある3月の寒い明け方に、毛布をぐるぐる巻きにした子どもたちを連れ、納屋の屋根の下から空を見た。ハレー彗星だけでなく、天の川も望遠鏡でのぞいた。
星空は美しく、足元はひたすらに冷たかった。いつもにない時間に起きて、眠さも増した。母だけが張り切っていた。
妹は小学校低学年、弟はまだ小学生になってなかった。ふたりは、うつらうつら、半分、目を閉じながら。それでも、空を見あげようとする。
夜空を見せようとする母に気をつかって、必死に、目を開けようとしていた。それでも、妹と弟のちいさなふたりは、眠りに落ちる。眠りかけているふたりを2枚分の毛布でぐるぐる巻きにし、納屋の奥にある部屋へつれて行く。そして、空が見える、窓の近くにそっと、置いた。
起きているのが母とわたしだけになり、ふたりでハレー彗星を眺めた。
そのとき、ぽつんと母が言った。
「次、ハレー彗星が来るころ。おかあさんは生きていないだろうね」
母の毛布をそっとめくって、わたしを毛布ごと抱き込みながらつぶやいた。
「たまこは、おばあちゃんになって。孫や子どもに、今日のことを話しているかな」
自分が母にとって、ただひとりの子どもに戻れて嬉しいような、母の言葉がかなしいような気持ちで、母の声を聞いていた。
「この前にハレー彗星が来たときは、おかあさん(おばあちゃんの、おかあさんよ)と一緒に見たんだよ、て言っているかな」
ああ、おかあさんに大切にしてもらってるな。
ただ嬉しかった。
「おかあさん、ありがとう」と、すんなり、言葉にできた気がする。いつもは厳しくて、わたしを条件付きでないと愛してくれなかった母が、わたしだけをみてくれていると信じられたから。
いずれ、母も死んで。わたしも死ぬ。
それでも、星がずっと見てくれている。
わたしが、この夜に母を大好きだと思ったことも、星は見ていてくれる。
そう思った。
一緒にハレー彗星を見た夜から、もうかなりの時間が過ぎて。
日常の中では相変わらず、
母は思い通りにならないわたしに腹を立て。
そんな母に、わたしも嫌悪感を覚える。
だって、仕方がないでしょう。
魂の形が、母とわたしと。ふたり違いすぎるのだから。
それなのに、おもしろいくらい姿かたちが似ている、皮肉。
見た目が似ているだけに、母はわたしをあきらめきれない。
中身が魂が、母と違っているわたしであると受け入れてもらえない。
母の思い通りでない生き方、
わたしの形のままで生きたくて、
仕事を理由に、ようやく実家を出て、黙って結婚して離婚して。
実家に戻れない時期もあって。
母の声を聞くだけで、うつの症状がひどくなる頃があって。
わたしにとって、母は鬼門だとずっと思ってきた。
それなのに、どうだ。
ハレー彗星をみた、あの夜を思い出したとたん。わたしの内にあった強がりが溶けてなくなる。
ごめん。おかあさん。
おかあさんの思うような娘にはなれません。
わたしは、わたしでしかありません。
それでも、わたしを好きでいてくれますか。
今、一緒に時間を過ごすとけんかになる。だから、母とは距離を置こうと思ってきた。
けれど、母のことを大好きなわたしもいるのか。
あんなに、大好きになってもらいたかった母には、
自分が思っているようには、愛してもらえなかった。
けれど、母のことを苦手な気持ちと同じくらい
母を大好きな気持ちが、今もある。
苦手も、好きも、どっちもあるのか。
そのことが、腑に落ちたら、のどが絞れてきてきゅうっとこみ上げるものがある。涙がぼたぼたとこぼれてきた。
でも、わたしは大人になりたいです。
だから、もう。子どもでいるのは、あきらめます。
好きになってもらうことも、あきらめます。
おかあさんが、もしも。わたしを好きでなくても、
わたしは、おかあさんが大好きです。
……たった、これだけのこと。
あれほど苦手にしているのに、まだまだ母が大好きで。
母に認められたくて、あがいている小さなわたしが内側にいる。
小さなわたしが、彗星にのって、今このときに、ぽとんと落ちてきたみたい。小さいころに感じていた気持ちが、ぶわっとわたしに染みて広がる。
愛されたかった。
もっと、穏やかに愛したかった。
ただ、それだけだった。
かあさん、ごめん。
あれほど、たくさんの愛を、かあさんなりに向けてくれたこと、
忘れていて、ごめん。
自分が、かあさんを大好きだったこと、
思い出そうとしなくて、ごめん。
でも、どうしていいかはわからないから、
まだ、仲良く連絡することはできないし、
妹たちのように、無邪気に帰省することもできない。
それでも、心に気にかけるようにはなるとおもう。
もうすこし、かあさんの気持ちに近寄ることもできるかもしれない。
でも、ごめん。
まだ時間や距離が必要です。
ハレー彗星が次、来る頃には、
懐かしく溶けて、あったかくなる気持ちになっていますように。
(寿命があるのも知ってる。
けれど、まだ。かあさんとそのままに向き合うこと、
わたしには無理そうです)