恋愛にあこがれる
わたしは、感情についての理解が遠い。自分の感情を実感するのに時間がかかる。
感情が痛すぎて、解離性障害をもってしまったからではないかと疑っている。それとも、冷静でありたいと願い、自分のもっている(はず)の感情を出すことに、ためらいがあるからか。
自分の感情でなければ、感じることはできている。映画やものがたりを見て、泣いたり笑ったり。画面の向こう側にある世界に、心奪われることはできている。
だからなのか、感情や心にとてもあこがれがある。
できれば、自分でリアルタイムで恋愛の感覚を知りたい。相手をなくしてしまってから、そこに恋愛があったと気づくのではなく。相手がそこに居るうちに、恋愛がそこにあると知りたいのだ。
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今日、読んだnoteで恋愛を定義するものを読んだ。「文豪の恋」シリーズの舞姫についての記事。
この光文社新書さんの「文豪の恋」シリーズが、わたしは好きだ。2020年2月時点で夏目漱石「こころ」、森鴎外「舞姫」、武者小路実篤「友情」、田山花袋「布団」の4作品分だけれど、続きも楽しみに待っている。
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恋愛は「お互いを中期保有しようとする」ものとして、定義してみることができるらしい。
・お互いを中期保有しようとするのが「恋愛市場」
・長期保有を原則とするのが「結婚市場」
・一夜の関係のように短期保有するのが「浮気市場」
わたしにとって、「恋愛とは、長続きしないものである」。だとしたら、わたしにとっての恋愛は、もしや「浮気市場」。
「浮気市場」のなかで、まじめに恋愛をしているみたいだ。
そんな私ではあるけれど、結婚をしている。そろそろ10年になろうかというところ。家族愛と同士愛みたいなもので、つながってるような気がしている。
長期保有をする「結婚市場」のなかに、恋愛はどれほど含まれるのだろうか。わたしの結婚の中に、恋愛はもうないんじゃないか?
どきどき、そわそわ。本の中に見そうな恋愛は、妄想の中だけにおわりそう。なんとも、切ない結果になった。
あこがれの「恋愛」は、あこがれのままになりそうだ。
▽ 淡い恋への願望が見せた夢の話
▽ 感情を体感しづらい私に、恋を教えてくれた言葉
「ほかのひとより一歩だけ近くに行きたい」
それが恋の入り口だと、ともこさんはいう。
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本文上の写真さがして、ひきあてたのも「恋」のnote。
きゅんとする、この感じ。これを、実生活の中で感じてみたい。あこがれる。