女性。は属性のひとつ。まずは私。
女の子。女子。女性。女。どれも、わたしにそぐわない。私はわたしである意識が強い。
生物学的には女性カテゴリーに入っているのは確かなのだけれど、心の部分で女性であると理解したくなかった。性別なんて、別にどちらでもいいのに。私というものの、属性のひとつが「女性」というだけなのに、どうしてその属性で私の意志がしばられるのだろう。
それでも幼かった頃は、スカートをはいて、リボンをつけてもらって。かわいいと言ってもらうことが大好きで「おんなのこ」をしていたはずなのに。
女の子なのだから。女のくせに。
やらなければならないことを決められたり、やりたいことを制限されたり。
わたしは私でしかないのに、ほかの女の子のような女の子にはなれないのに。大人は勝手ばかり言う。女の子だから、やらなければならないことがある。女の子だから、私のやりたいことができない。
それなら、もう、女の子でなくていい。
きっと、似たようなことが周りの人たちの中にもあったと思う。属性ありきで、自分の思いや行動を見つけることは、後々、自分の思いや行動をしばっていく。
男の子だから、男だから。と、我慢しなければいけないことがあった人もいるだろう。
親なのだから、こうあるべきだと。まわりの「正しき」人達から意見をされた人もあっただろう。
属性について、周りから期待されている「正しさ」につかまってしまうと、自分がどんどんやせ細っていく。私がわたしであるはずの個性な部分がゆがめられて、周りに埋もれていく。
個性な部分を消せば消すほど、息苦しくなる。
はればれと、息をして。私らしく生きていくために。
属性は、まず横において。
私は、なにをしたい? 私はどうしたい?
私自身の気持ち、私の思いを大切に、行動を見つめる。自分に意思があることを認め、そのうえで自分の持っている属性と照らし合わせる。