意識と身体の針をあわせる
一日は24時間だというけれど、もしかしたら、28時間だったり20時間だったり、人によって伸び縮みしてたんじゃないかと思う日がある。
今日は、そんな日。
わたしの一日は、たぶん、2~3時間少ないんじゃないかしら。
一日があっというまに過ぎて。振り返ってみたら、何をしていたか思い出せない。
ずっと、もりもり。何かを書き続けていて。合間に電話をかけて、話をして。ごはんを途中で食べて。ときどき、席を立って背伸びしたな。
そして、気づいたら部屋の温度が下がっていた。外は真っ暗。月はもう低くて見えない。
夕方の西の空を見て、月や惑星を観察したいと思っていたのに。あしたに持ち越し。
かろうじて、月と惑星のことを思い出せた。そのことを、よしとして。無くしてしまった2~3時間を取り戻そうかと考える。
……まあ、いいや。今日は20時間な一日で。あした、26時間とかに増えているといいな。
意識だけがかりかりと回り続けて、身体はいつものように過ごしている。意識と頭が別々の時間を動き始めている。
そろそろ。リセットのかけどき。
湯船につかって、風呂でゆっくりしよう。
はやめにPCから離れて、書くことは忘れよう。
タブレットをみたい、けど。やめておこう。
ベッドには、数冊の本。早めにもちこんで、ごろごろ眺めよう。
いや、いっそ。真っ暗にして瞑想音楽をかけるのもいい。
とにかく、静かに。意識と身体がそろってくるのを待つ。
昔、ねじ巻き式の時計があったでしょう。あの、ぎりぎりとバネを巻いて。すうっとねじを取るときのような、神妙な気分が、今ほしい。
週の初めなのに、ね。かなり、急いでいるね。
3月だから気持ちがはやっているのかな。
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本文上におく写真を探して、またひとつのnoteに出会う。はちくぼ とよふみさんの書いたもの。
ある一人の正しさは、思想でもあり哲学でもある。それを振りかざすかどうかは置いておいて、強烈な武器であることには間違いない。
正しさと表現するかは、わからないけれど。思想や哲学は、人それぞれに持っておきたい。
けれど、その思想や哲学の表現法のなんと豊かなことか!
一見、穏やかに見える中にも厳しさが含まれていて。厳しさの中にも、やさしさがあることも。そうなると、自分が何を視たいか決めるしかないのかもしれない、と思っているところ。
争いはもちろん好きではないのだ。けれど、己の中に正義を持っている人と、建設的な未来の話をしたい。そのために、自分の正義も見つめ直してみようと思う。
すごく身に染みて、聞こえてきた。