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知らない。初めて。のように見る
わたしは「赤い」餅が好きだ。うっすら甘く、飲み込んだ後でふわっと芋の香りがする。紫芋で色づけした、赤。
最後のひとつに残して置いて。今朝、焼いて食べた。ぱくっとかじりついたら、思わず手が止まった。口の中でふんわり、シソが香った(芋じゃなかった)。赤シソのシロップでつけた、赤い色だったらしい。
立春のお祝いにと、実家から三色の餅が届いたのは先日。そのときに、母が何か色の話をしていたな。今年は、ちょっと変えたよとか、なんとか。相づちを適当にしていたことを思い出した。
(手前の濃い赤が、紫芋の赤。奥の薄い赤は、シソシロップの赤)
昔は、もう少し。朱色っぽい赤だった記憶がある。婦人会のおばちゃんたちが、くちなしの実を煮て、餅をつくときに少しずつ混ぜていた。
くちなしで色を付けた餅は、少し変わった匂いがする。ふかっと鼻に青渋いにおいが残るように思う。だからなのか、地域に紫芋が入ってきた20年くらい前から、芋入りの「赤い」餅がつくられはじめた。
シソの赤い餅は、初めて食べた(ような気がする)。
地元を離れて、もう20年たったんだと実感した。20年だったら、赤ちゃんが成人するくらいの時間。人、ひとりが育ってしまうくらいの時間、わたしは地元で暮らしていない。
地元にいたころ、当たり前だったことも。人、ひとりが育つほどの時間が立てば、変わってくる。同じに見えて、違っていることもある。
見ただけだと、何が同じで。何が違っているか。それはわからない。
「知ってる」つもりでも、知らないことになっていることもある。いつも「知らない」こと、初めてのことのように。みつめていたい、感じていたい。
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本文上につかう写真を探して。写真から、素敵な記事にたどりつくようになった。今日の写真は、かとうちはるさんのもの。
すぐ、目的を見失って、迷走しがちなわたし。その迷走は「しっくりこない」から起きていた。手段の効果を考えていなかったからかも……記事中の「目的に合った手段ではないことに気づいたのだ。」この部分に、心きゅっとつかまれた。