人の数だけある真実を知る
カードを何枚をめくり、次に出るカードを思う。繰り返し開かれるカードたちの中に、聞かれている物事を読む。読む出来事は、どこかものがたりのよう。目の前に人は座っているのに、本屋でふと立ち読みをしているような気分になる。できるだけ、目の前の人の現実にあうように、カードを読み解いていくけれど。どこか現実離れして見える。
相談にくるときは、もう答えを決めているのだ。望んでいることを、心の奥では知っているのだ。それなのに、世間だったり常識だったり、周りに望まれる役割だったり。いろいろなものに目隠しされて、望みを見えないことにしている。
カードを使うのは、目の前に来てくれた相談者のため。目に見える形を使って説明するほうが、わかりやすいし、受け取りやすい。カードがないほうが読み取れる量は多いと感じられるけれど、説明するには足りないこともある。だから、今日もカードを開く。
カードを開きながら、本を読んでいるような気分を味わっている。
いつもは、カウンセリングやコーチングとして仕事を受けていたのだけれど、古いお客様だったので占いを中心にご相談を聞くことになった。
お客様の前でカードを開くのはひさしぶりのこと。ご要望にこたえられるだけのものがあるのか、ちょっと自分のことが不安になる。
それでも、ほっと安心したような顔をして帰っていったお客様を見送ることができて、うれしくなった。次、お目にかかった時はたのしい話をたくさん聞けるだろう。
どんな道具を使っても、どんな手法であっても。悩みや相談や、今思っていることを、他のだれかに聞いてもらえる機会があるのは、自分のことを知るのにいい。
鏡がないと、じぶんの形がわからない。ひとりで考えるより、だれかに話しながら考えればより真実に近づける。そして、その真実は、人の数だけある。それぞれ、ちがった真実を持っている。
それぞれの人によって違う真実を見せてもらえることは、わたしにとって選択しかメニューが増えるたのしさがある。自分の持つ「常識」があいまいになって、より広い世界の中に首を突っ込める気がする。自由が増えていく。
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タイトルの場につかう画像を探していてひとめぼれした、この愚者のカード。もっているのはスーパーの袋!
なんだかにくめないカードです。ほかのイラストもあるのかな。