2021/3/22‐24(水)もっともっと身勝手に
一連のnote、ラスト。
名物に旨い物なし、励ましに優れたものなし。どちらも皮を一枚めくればただの「自己アピール品」にすぎないから。
そんなことない、純粋な思いからだと憤る声もありそうですが。
そもそも誰かを励ましたくてという動機から作られたものの大半がなぜか全く面白みないんですよね。どこにでもある言い回しばかり、誰もが考えそうなことしか言ってないし、早い話が凡庸。
とは言っても本人は「あなたのために」と言ってきかないし、心のこもったものを邪険に扱うわけにいかないという気づかいはどうしてもしちゃうし、そもそも全く感動しないってのも世間体的に冷たい人と思われそうだし。
千羽鶴と同じ。作るのは構わない。そんなに素晴らしいものならば自分のお部屋に飾っておいてくださいな。
心を不意に打ってくるものって、たぶんもっと身勝手に、ただただ楽しく作られてるだけなんじゃないかなあ。もしくはひたすら悲しく、苦しく、一人泥沼でもがいているような。
私たちのことなんかちっとも考えてくれてないの。
でもきっと私たちにはそういうもののほうが面白い。胸を打つ。
その人個人の事情のはずなのに、根っこのほうでつながってるというか、ああ、なんでかわからないけど、すごくわかる!!すごく響く!!という感じ。
大事なのは、私たちの顔色を窺ったり人気を取ろうとすることじゃなくて、ましてや励まそうとか慰めようとかするんじゃなくて(そもそもよく知らない誰か、ましてや不特定多数を、その程度で励ませるとか慰められるだなんて思っちゃいけない)、あなたと私たちとをつないでいる、だけどまだよく形になっていない何かを、あなた自身の感性とわがままで掬い取って、形にすること。
自分にとって一番いいと思うものを追求する先にしか、人に喜んでもらえるものは見つからないんじゃないかな、という気がしており。
そのためにこそ自分の感性と教養を磨く必要があると思っています。