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『透明なわたしたち』を見て



あらすじ

2024年の渋谷で身元不明の青年による凶悪事件が発生します。
週刊誌ライターの中川碧(福原遥)は、事件の犯人が高校の同級生ではないかと気付き、疎遠になっていた仲間たちと再会します。
高校時代を回想しながら、真相を追いかけていく中で、文化祭の日に起きたある事件が鮮明な記憶として甦ります。
過去と現在、それぞれの事件が繋がり“真実”が紐解かれます

作品のテーマについて考えた

「透明なわたしたち」がNetflixで公開されましたので、その感想。
まず、「透明なわたしたち」というタイトルからして、1997年の少年Aの事件を思い出す。

1997年、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件。2年後、加害男性「少年A」の両親は手記を出版した。その背景には、当時『週刊文春』記者で、土佐犬と共に育ったという森下香枝氏の存在があった――。

https://president.jp/articles/-/29519?page=1

少年Aといえば、
<透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない>という声明文と元少年A公式ホームページ「存在の耐えられない透明さ」が開設されていたりする。 この<透明な存在>をどう作り手が解釈しているのかがこのドラマの見どころであり、タイトルも"わたしたち"としているのがとてもいい。

考察

犯人は孤独だったのか?

学生時代も社会人になったからも誰からも注目されず、親も亡くしている人物であり、まさに「透明な存在」なんだろう。そんな彼が無差別殺人をすることで、世間から認識される。

高校生時代、彼は主人公に視線を送るシーンがあったが主人公に見る気もしていなかった。 事件が起きて視聴者も「え?誰?そんな人いたっけ?」みたいな置いてけぼり感がありそれもいい構成だった。 しかし、彼は学生時代そこまで孤独感があった訳ではなかったし、スクールカースト的にはダンス部のトップ集団に彼もいた。孤独じゃない何かが<透明な存在>が表現されていた。

んー<透明な存在>の言語化が難しい。。。

タイトルの意味

タイトルが「わたしたち」というだけあり、登場人物全員が<透明な存在>になりたくないと抗っている。

主人公自身も、学生時代に自分勝手な行動に出てしまい1人の同級生の人生を変えてしまった。が、それは正しい正義なんだと思っていた。
正義感、正しさを自分の存在意義であり、ジャーナリズムとして進路を進めるが、過去の行いが間違った正義の悲劇を突きつけられてしまう。

彼女は彼女で<透明な存在>になりたくないと抗っていたんだと思うと、苦しく思う。。

ネットを見ると、彼女の行動批判している人は多い。私もそう思う部分はあるが、多かれ少なかれ、SNS、動画配信時代だからこそ、彼女にライドしてしまう部分はあった。

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ジョーカー

誰もが言わず、最初に思うのが、トッド・フィリップスの映画「ジョーカー」でしょうね。。ピエロのメイクといい、だんだん闇に落ちていくところや貧困の苦しみなどとリンクさせる部分が多々あった。
本作品のメイクでもあったように、笑っているように見えるメイクってのがいい。

ピングドラム

アニメだと、なんといっても『ピングドラム』でしょう。。。
「こどもブロイラー」で、必要とされない子どもが、粉々にされ、誰が誰だか分からなくなるようなになり、毒親問題や学校教育、精神の死、生きながら死んでいる子ども。そんな透明な存在になっていくイメージ。
アニメでも<透明な存在>って言葉を使ってたような??

少年Aの題材にした映画といえば、「友罪」になるかと思いますが、こちらは見ていないので、何も言えませんが、今回の犯人が出所した後を描いているアンサーの映画になってればいいなと思いました。

まとめ

しかし、我々、学生から先生方、社会人、60代以上の方も同調圧力の中で、<透明な存在>であれ、と強いられている中で、そうでありたくないということと、抗っているんだろうか。
孤独感、同調圧力、自己表現、承認欲求など、今現代社会を生きる人にとってどう生きるかを考えるドラマだったかと思いました。

どう解決したらいいのか、すごく安っぽくなってしまうが、
少しでも気になる人や、近くの人、普段会話しない人とも会話して、相手の話を聞いてみること。 自分で発信するのが苦手な人もいて、声にならない声で叫んでいる人が周りにもいるんだと思い、いつもより周りに声をかけようと思う。

ところで、伊藤健太郎さんイケメンすぎません??それだけでもみる価値あったな・・。

さぁ!
来週から社会復帰だし、頑張るぞ!

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