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自分の意見を言えない理由
先日、久々に飲み会がありまして。余計なことを言わないことを選択したんですよ。
とあることにチャレンジしてる友人の話を聞いて、ちょっとだけそれの先輩のわたしの本心はこうでした。
「それ違うよ、今だけだよ。たぶん近い未来、つまづくと思うよ」
けど、せっかく前向きに楽しんでいる友人に水を差すのも悪いな、と思い言わなかったんです。
わたしも同じ頃、おんなじようなことを思ってたから。
そんなタイミングで聞いた、はるさんのvoicy。
歳をとるというのは余計なことにエネルギーを使う余裕がないということだ、と。
ああ、まさにこの「余計なことを言わない戦略をしてたんだな」と思いました。
・・・でもね。
おもんないんですよね。わたしが。
あぴママさんも、「ひとは皆持論を展開したいものだ」と。
わたしも、持論を展開したい。したかった。
そして、「相手の言葉を文字通り受け取って批判するのではなく、その発言の本心を探れ」ともおっしゃってました。
あぴママさんの言及は、相手の発言についての話だけど、「自分」の「発言しなかったこと」にも横展開できる思考ですよね。
なぜあのとき、友人の話を聞いたわたしは、
何も発言しなかったのか。いや、できなかったのか。
その本心は何なのか。
たぶんね、、、怖かったんです。
反論めいたことを言って、その子に嫌われるのが。
だから、毒にも薬にもならない、ただ受動的に聞くだけで、100点は取れないけど確実に60点は取れる回答を選ぶしかなかった。
その理由はたぶん、常にコミュニケーションの正解、いや、落第点にならない回答を選んでいるからです。
この記事のタイトル、もともとは
「余計なことを言わない戦略」にしてたんですよ。
「戦略」とは全然違いますよね〜。
さて、なんとなく暗くなっちゃった流れですが今日はここまで。
今読んでいる本、「頑張ることがやめられない」にヒントを得て、続編を書こうと思います。
おしまい