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新年からワンオペ育児を呪う

「なーにーちゅーるーのー!!」
「やーめーてー!!!」

無意識にBluetoothイヤホンの音量を2つ、上げた。
横目で見ると、お絵かきをしていたはずの兄妹は、黄色の色鉛筆を奪い合っていた。しばらく放っておいたが、「ねえーママー。直してー」と、色鉛筆セットを差し出された。外れてしまったふたを直してほしいらしい。イヤホンを外した。

わたしが今、どこで、何をしていようとお構いなしにカットインがなされる。仕事も、料理も、掃除も、トイレも、睡眠も、Voicyも、読書も、なにもかも。彼らには見境がない。そしてうるさい。仕方ない。そういう生き物だからだ。

気が付いたら、わが家のテレビはドラえもんしか写らなくなった。しかし、ドラえもんのおかげで、30分は静寂な時間を確保できる。そして、細切れだが貴重なその時間は「私がやりたいこと・やらなければならないこと」に注がれるのだ。


しかし、30分もたてばまたよくわからない騒動に巻き込まれる。毎日、これの繰り返しである。

今日はもう限界かなと思い、公園に向かった。元旦の公園は誰もいなくて、やけに池の水がきれいになっていたが、あれだけいた魚も亀もいなくなっていた。ふたりでブランコに乗る姿を、「みてね」にアップロードするために写真を撮る。わたし、ちゃんと育児してるよって。


未就学児を育てる親は、休みがない。特にワンオペではひとりになれる時間がない。子育てをするまで、こんなにも自分が孤独を必要とする人間だったとは思わなかった。

子どもたちはかわいい。しかし、時折、うっとうしい。

休みの日における時間の使い方を、自分で自由に決められること、つまり裁量を持っていることはとても重要だとされているんです。いくら身体をリラックスさせる時間を取れていたり、熟達のために時間を使えたりしていても、それが強制されていては不十分。時間の使い方を自分で決められないと、心理社会的資源は回復しにくくなってしまうんです。

遅いインターネット|#1 関屋裕希さんと、リモートワークの「休み」について語り合う


年末年始だが夫は仕事でいない。ワンオペだから、わたしには時間の使い方の裁量がない。ワンオペで保育園が休みの日は、仕事の日以上のストレスを抱えることを自覚している。


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ママはいつもイヤホンをしている。

イヤホンをしているときにはなしかけると、いやなかおをされる。
だからぼくはゆーちゅーぶをみたり、ドラえもんをみたりして、はなしかけないようにする。

いもうとのことはすきだけどぼくのおもちゃをとるからきらいなときもある。ゆるせないきもちになるし、ケンカもする。

でも、ぼくたちがけんかをしていても、ママはきにしない。
だから、じぶんでなんとかするしかないみたい。

ママはたまにこうえんにつれていってくれるけど、さむいからすぐにかえろうっていうんだ。いもうとはヤダといってなくけど、ぼくはいいよという。


ほいくえんのないひはやることがない。
ママにつまらないっていうと、「たのしいことはじぶんでさがしなさい」といわれる。だから、ゆーちゅーぶもおえかきもこうさくもすまいるぜみもぜんぶやる。どらえもんもぜんぶみる。


でもね、そうしてると、あっというまによるになって、またあさになる。
あさになれば、パパがかえってきて、おとしだまをくれるから、それがたのしみ。



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新年早々ブラック吐き出しですみません!わたしは元気です。笑
本年もよろしくお願いいたします。

おしまい

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