自ら課題を見つける子どもに育つ声かけ|ヒトではなくコトを疑う
我が家のむすこ3才。おならに対して、羞恥心を覚えだしました。
つい先日、
むすこ:「(プ~ッ)・・・・」
むすこ:「パパおならしたあ~!」
パパ:「パパはしてないよ、自分でしたんでしょ!」
ママ:「おならは恥ずかしいことじゃないよ」
みたいな世にも平和~な会話が繰り広げられていました。
(いま考えると、 おなら=恥ずかしい と感じる息子には寄り添えてなかったな・・・もう少し共感性をもって接しようと今更反省💦)
で。今読んでいるこちらの本。「ミライの授業/瀧本哲史」
この本は、14歳に向けられたこれからの人生の生き方指南書といったところで、大人になってしまった親世代にとっても学びが多くあります。
この中で、
ミライに活躍するには、課題をこなす人ではなく課題を見つける人になろう。
そして課題を見つける人になるには
ヒトを疑うのではなくコトを疑う
というコツが示されていました。
「コトを疑う」って・・・結構難しいですよね。
じゃあいったいどうしたら疑う先を「コト」にできるのだろう?と思い。上段のおならを例にして考えてみました。
おならをした人を疑う事象を分解
くだらない分解で本当にスミマセン。
まずね、「誰がおならしたの?」というテーマ以前に、「おなら」という事実があって、さらにもっと上流にさかのぼると「おなら」だと思われるような事実が発生しているはずなのです。これを、誰しもが会話の前提として省略しています。
この、前提として省略されがちな事実や発見こそを、「コト」として疑ってみることを本書は言いたいのだなと思いました。たぶんおならを例にされるとは思っていなかったと思うけど。
会話の前提を整理すれば、こどもに問いかけできる
先ほどの会話をもし再現するなら。
ママ:「どうしておならだと思う?」
むすこ:「ぷーって音がしたから」
ママ:「本当におならの音かなあ?お腹がグーって鳴っちゃっただけじゃない?/〇くんがお口でプーって言ったんじゃない?」
ママ:「どうしておならだと思う?」
むすこ:「臭いから」
ママ:「本当におならのにおいかなあ?別のにおいじゃない?」
書いてて、なんだが過保護な親っぽくなっちゃいましたがw
こどもにコトを疑う力をつけてもらいたいなら、そのきっかけになる問いをすることが大切だなあと思いました。
番外編:むすこが人のせいにするようになった背景を想像
そもそもね、なぜ息子はおならを人のせいにしたがるのでしょうか?
・おならをして叱られた経験がある?
・おならが恥ずかしい?
前者だったら悲しいですね。なんでもかんでも叱られるような経験を植え付けてしまうと、チャレンジ精神が育たなくなっちゃいます。親としては気を付けたいところです。
では。
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