一言欲しい VS 言い続けるのしんどい
早朝から、「ごめんね」としか返信しようのないLINEを夫に投下した。職場ならスルーできるレベルでもやけに癪に障るのは、生理前のホルモンバランスのせいだけではないだろう。発端は子育て・共働き夫婦あるあるの、子どもの発熱対応問題だった。
夫は、わたしと子どもたちが起きるよりも前に家を出る。そして翌日まで帰ってこない。テレワークが出来ない交代勤務制であり、ある種エッセンシャルワーカーとも言える。一方のわたしは、柔軟にテレワークや休暇をとれるオール日勤の時短勤務者だ。突発対応にどちらが強いかは一目瞭然だろう。
今回も、何の話合いもなくわたしが対応することとなった。出社予定だったが、必須の打ち合わせはテレワークで対応し、それ以降は休暇となった。
夫は、子どもが発熱していても、何の予定も狂うことなく日常を過ごすことができる。彼の日常はわたしの調整の結果だ。(強調)夫が忙しくてそこまで気が回らないのもわかっているし、彼の労働環境が過酷であることも理解している。それでも、少しの気遣いが欲しかった。夫婦として、互いのサポートが当たり前ではないことを確認したかった。
しかし・・・なぜ夫は、催促されるまで「よろしくお願いします」と言えなかったのだろうか。もしかすると、毎回それを伝えなければならない負担感から、無意識に避けてしまった可能性はないだろうか。
というのも、感謝を伝えなければならない状況の息苦しさをわたしも知っているからである。
それはいつも、わたしが同僚に対してしていることだ。今回の休暇も、仕事は同僚に依頼し、急遽の対応を詫びた。翌日出社したら、朝一番に同僚に感謝を伝え、仕事の状況を共有してもらい、また謝罪するのだ。(ちなみに、これが繰り返された結果、任せてもらえる仕事が減り、自己効力感が下がり、労働意欲を失う。)
もちろん、同僚に対する感謝の気持ちは確かにある。同僚からの支えが自分にとってどれほど大きかったか、感謝してもしきれない。
一方で、毎回それらを伝えることが、どうしても心を消耗させるのだ。本当は自分でやりたかったのに。できたはずなのに。同僚を頼るしかない状況がとても歯がゆい。頼ることではなく、頼る「しか」できないことが辛いのだ。
最初は夫に対する怒りがあった。しかし、夫自身もわたしに頼らざるをえない状況で、彼なりの葛藤があるはずだと考えると、少しずつわたしの感情も落ち着いてきた。
それでも、わたしたちが今後どういった行動・言動をすべきかを考える必要がある。互いに頼り合うことが避けられない以上、例えば小さな一言や感謝を日常的に共有することで、お互いの負担を少しでも軽減していけるのではないか。夫婦としても職場の仲間としても、お互いに理解し合える道を探っていきたい。
おしまい
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