「みんな」じゃない
子どもの頃から、「みんなと同じようにしなさい」と言われることが苦手だった。
「通学かばんに教科書を全て詰めて持って帰りなさい」と言われていた中学時代に、その日勉強しないだろうと思った教科の本をロッカーに置いて家に帰ったら、先生に呼び出されて注意を受けた。「みんな我慢して持って帰っているんだから」。そう言われたが、わたしにはわたしを含めみんなが我慢しなくてはいけない理由が分からなかった。「どうしてですか」と尋ねても、納得のいく答えは返ってこなかった。
大人の世界でも、「みんな」の圧力はとても強い。みんなが言っていることやしていることは、全て正しいことのように語られる。俗にいう結婚適齢期に差し掛かって、家族からは言われたことのなかった「みんなそろそろ結婚する年なんだから、早くいい人を見つけなさい」という言葉を、知り合いから何の悪気もなく言われて、苦笑するしかなかった。
結婚をしたらしたで、「子どもはいつ?」「子どもを産んだら人生が変わるよ」と言われて、「みんな」と同じ道を歩いていくのは大変だなと思った。たぶん、1人産んだら「2人目は?」と聞かれるんだろう。
結婚をするかしないかはわたしの自由だし、そもそも結婚制度には変えてほしいところもたくさんあるし、子どものことは家族で考えたいし、子どもがほしいと願ってもかなわないことだってある。
わたしはわたしだ。あなたとは違うし、「みんな」じゃない。何も考えずにわたしの人生に踏み込んでくるのは、親切じゃなくて、傲慢だと思う。
こんな短歌を思い出した。
さうかさうか私は獣だつたのだ月夜をこんなに愉しく駆けて
飯田彩乃「リヴァーサイド」
月の夜、自分を縛っていたものから解き放たれたように外を駆けて行く。まるで一匹の獣であったことを思い出したかのように。体の奥から喜びがあふれ出してくるかのように。わたしの体も思考もわたしのものであり、自由に生きていいということを思い出させてくれる歌だと思う。
これから先、「みんな」に踏み込んでこられると思った時、わたしは誰にも邪魔されず月夜を思い切り駆けている自分の姿をまぶたの奥に思い浮かべる。そうして、「わたしはわたし。みんなじゃない」と伝えたい。
「徳島新聞」2018年9月16日朝刊に掲載