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今週の日記#88

浅く広く生きてきて23年目に突入しました。23歳の私もよろしくお願いいたします。

🎉🎂🎉

完璧主義の人間にとって、『完璧』というものは近づけば近づくほど遠ざかってしまう。具体的に点数などで決まっているものーー点数のある試験とか、欽ちゃんの仮装大賞とかーーそれらで満点を取ることが『完璧』というのならば、難易度の大小あれど達成することも不可能ではないだろう。しかし、完璧主義の人間が目指す『完璧』はそういうことではない。たとえ億万長者になろうと、両手両足に花を持とうと、世界で一番幸せだと感じる瞬間があろうと、どこか物足りない。試験では教室で一番速く解き終わったうえで満点を取り学年、全校、地区、都道府県、あるいは全国で1番になりたいし、なり続けたい。欽ちゃんの仮装大賞ではスムーズに満点まで昇っていったうえで欽ちゃんに感嘆の声を漏らさせたいし、伝説となって「仮装大賞といえば」な代名詞になりたいし、未来永劫語り継がれたい。
日常起こるすべての出来事、動作において、その『完璧といっても良いだろうというライン』を超えたい。

そう、結局はどこかで妥協をしなければならないのだ。『完璧』は虚飾であり、机上の空論だ。みんなどこか妥協して生きている。その妥協点が高すぎるのがいわゆる完璧主義だ。私もそうだと自覚している。でも、歳を重ねるにつれて経験則から妥協点がずるずると下がっていくのだろうな、と思っている。それはちょっと嫌。だけど、そうなったら随分生きやすくなるんだろうな、と思う。

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『ゴールデンカムイ』に出てくる牛山辰馬というキャラクターが、「あなたの完璧はいつだった?」という問いに返した「いまだよ…いま」というセリフが好きだ。このセリフと家永カノと牛山辰馬について話すと長くなってしまうので割愛するが、とにかく、いまが完璧だと言える生き方はかっこいいと思う。(このセリフのシーンに対してこの感想を言うのは野暮というかなんというか、違うのだけれども)

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Googleフォトに「あれから9年」というスライドショーが表示されていたので見てみると、お弁当の写真が入っていた。

シンプルなお弁当の写真。母の愛情こもった弁当かと思いきや、実はこれ、自分で自分のために作ったお弁当。
9年前、14歳の私は中学校へ行かずに引きこもっていた。いまが何時だかよく分からない時間に寝て、もうこれ以上眠ることができないようになったら起きる。そんな生活1年半ほど繰り返していたのだが、やがて「卒業」「高校進学」という言葉が生活に入り込んでくるようになってくる。
昼夜逆転を治し、受験勉強をして、まともな人間になる。そんなハードルの高いことが引きこもりの自分にできるとは思えなかった。
そんなとき、インターネットの海を漂うなかで偶然出会ったのが「うちの母ちゃんすごいぞ」という2ちゃんのスレだった。

【ストーリー】
父親の借金が判明し、ヤクザが取り立てにやってくる毎日。 そんな家庭の混乱に耐えられなくなった主人公クズ子は 無意識に自殺未遂をし、結果高校受験もできずニート生活に突入。 小さい妹は不登校。兄は家によりつかなくなった。 厳しい借金取り立てをかわすためオヤジと母ちゃんは離婚。
そんな「葬式みたいな家」で、母ちゃんは家計を支えるため、働きにでた。 寝る間も惜しんで働く母ちゃん。30人分の仕事をこなす超人的な頑張りで、 パート→正社員→現場主任→課長→部長とどんどん出世する。
一方クズ子は、ゲームやアニメ三昧の毎日で、時々兄ちゃんの金をくすねる相変わらずの クズっぷりを発揮していたが、ある日寿司屋で食べた寿司のうまさに感動。 「バイトすればまかないでいつでも寿司が食える」という短絡思考からバイトを始める。 いつやめてもおかしくない勤務態度だったが……!?

書籍版のあらすじより

この話のなかに、クズ子が妹や母のためにお弁当を作る、というシーンがある。
私はそれを読んで「なるほど」と思った。弁当を作ればクズ子みたいに、とんとん拍子にまともな人間になることができるかもしれない。自室に引きこもってゲームをするより、キッチンに立って料理をするほうが、よっぽど有意義な時間の使い方だ、と。
しかし、私にはお弁当を作ってあげるような兄弟も居ない。家族のお弁当を作るにも、家族が出勤する早朝6時までに手際よくお弁当を作りきれる自信がなかったし、いちおうお弁当作りの手伝いを提案してみたところ「そんなことしなくていいよ」と断られた。
そうなればもう、自分で自分のためにお弁当を作るしかない。 家に余っていたじゃがいもとピーマンを適当に炒めたおかず、そして冷凍食品のオムレツ。その第一号のお弁当がたぶん、この写真。

その後、中学校を卒業するまで定期的にお弁当を作り続けた。夜に寝て朝に起きる生活ができるようになって、中学校に行くことは結局最後までできなかったものの、昼間受験勉強に集中して取り組むことができ、無事に高校へ進学した。とはいえ、進学してからは部活とアルバイトで忙しく、弁当を作る余裕がなくなり、母が他の家族の分と一緒にお弁当を作ってくれていたのだけれど。

社会人になったいま、自分で自分のために会社に持っていくお弁当を作っている。こう思い返すと、やっぱりお弁当を作ることが生活を整える第一歩だったのかもな、と思う。9年で人はこんなにも成長することができるのだなぁと、驚いた。さらに9年後、32歳になる頃にはどんな大人になっているのだろう、と考えてみるけれど、中学生の頃の私にいまの私の姿は絶対に想像できなかったので、想像するよりも目の前のこと、お弁当作りとか、に集中して生きていけたらと思う。

エッセイっぽさがすごい。ただの日記です。

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