救いはどこ
ときどき、自分の存在に耐えるのが辛いときがある。
生き続ける努力をやめたくなる。
今自分の身に絡まる細い糸を全部断ち切りたいと思う。
インターホンの音。電車の音。車の音。家の外を歩く人々の声。階下や上階の生活音。テレビの音。スマホの通知。差し込む光。
優しく照る月の光も恐ろしくなる。
ジュースを飲んでもそのつくられた甘さに人の思考を感じる。
テーブルやラグ、マグカップにも。
それらは自分の思考や生活に合う気がして手にいれたものなのに、ときどきとっても攻撃的で私の手に負えないシロモノになる。
知り合い友人も、そして家族も、受け入れられなくなる。
受け入れたいと思う気持ちがあるから厄介だ。
そうして余計に煩わしいものとなり私を苛む。
私は自分の所在を何処においたらよいのか全くわからなくなる。