Tamara Usono
「大聖堂は見てきましたか」 黒縁メガネをかけたウェイターが綺麗な英語で聞いた。 店の中にはほかに3組の客がいるだけで、メキシコシティの飲食店はどこもそうだけれど店員のほうがずっと多い。午後遅い、もやっとした重さのある空気を天井の換気扇がだるそうにかきまわしている。 「今日の朝、見てきました。隣の、神殿の遺跡といっしょに。なんというのでしたっけ、テンプル・マヨール」 「テンプロ・マヨール」 ウェイターはわたしの発音を直してから、整った白い歯をみせて笑った。 「聖堂はどう
くじらが肩にくっついて取れない夢を見た。 もう仕方がないから、くじらの行く方向にゆらゆらと漂っていくしかないのだ。 大きな灰色の三角の波を次々に乗り越えるのは恐ろしくもあり痛快であった。 空はターコイズのような冷たい青色に晴れ上がり、わたしは光る波の間にいるのだった。 背中のある一点を押されると、青い色が見える女の夢を見た。 いつの頃からか、その一点を押されると、閃光が走るように青い色が目の前にはしるのだという。 時によって、深い群青色のこともあるし翡翠のようなあたたかな色
あなたという単位は、 偶然に そこに集まった分子の集合。 または 偶然に 出会った父母から偶然に生まれた遺伝子の表象 または 複雑に絡み合う分子の雲のシステムの間をでたらめなリズムで飛び交う 電気信号の集合。 または 偶然に出会った祖先が偶然に始めたなにかの結果 による偶然の 影。 でなければ 何千億もの奇跡の連鎖のあとで かたちになったちいさな一つの魂 一瞬の煙のなかに輝く 永劫のひかり そうして 地上の魂のすべてに働く奇跡が ときに天使の形をして
その人の手にはほっそりとした青灰色の種があった。薄く硬い、鞘から抜いた短剣のような種は手のひらに余る長さで、細い指先にしっかりと包まれている。 「この種は、千年たったら芽を出すの」 薄い色の目でわたしを見ながらそういった。 「その時には、もうわたしたちはいない。わたしたちの知っているものは、何も残ってはいないかもしれない。この町も、国も、残っていないかもしれない。その時にどんな者たちがこの地面の上を歩いているか、わたしたちに知る方法はない。いつかその時が来たら、この種
翼が傾くと 空の底に柔らかな満月 夜の水の荒野のはてに とろりと広がる陸がある フジツボのように薄く光る 寂しいビルディングが ふつふつと増えていき わびしい町があらわれては消え 曖昧な道路が暗闇のなかを かすかに光りながら はかなげにつながっていき か細く互いをさぐりあう 震える神経細胞のように やがてすこしずつ明かりが増えて 百億の 絶えず点滅し続ける光たちに べっとりと覆われた 都市へと続く 光の粒のひとつひとつが 意志と欲望を育み なぐさめを求め 完結した
きつねのような尻尾をもつフェニキス人が、貿易をしに来る。 三千二百年たったら、わたしたちに教えてくれるという。 重い緑の宝石をもって来て、10億の生命と取り替えてあげようという。 もし間に合うのならば。 美はいつも正しく、あなたを苦しめる。 わたしたちの中に埋め込まれた何億もの小さな装置が勝手な物語を作りだし続けるから、わたしたちはいつまでも殺し合いを続けなければならない。 橋の上で蛙が見ている。流れる水が七色に変わるのを。 蛙の王女様が、わたしにたずねる。 あ