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旅する土鍋2017アーカイブス

※今年も「旅する土鍋」をスタートするにあたり、昨年こちらに投稿していなかった「旅する土鍋2017」アーカイブ記事をまとめています。


2017.8.6 フィレンツェ郊外(1)「旅をする理由」

ターミナル駅にはいろいろな思い出がある。数日前ここフィレンツェ駅でも、案の定、列車は遅れ、重いスーツケース2つを運動会以上のダッシュで押してピサ方面のローカル線に乗り換えたばかり。筋肉痛が過ぎ去ったころ、またふりだしのフィレンツェ駅にいる。

数年間住んだこともあるフィレンツェ。ここ数年なんども訪れているので薄紅色のクーポラは列車から臨むだけで、せっせと、今度は別の方面へのローカル列車に乗り換える。

フィレンツェ郊外の千穂さんの家について、この1年の近況を聞く。25年くらい前だろうか、語学学校をともにした彼女はいまやフィレンツェでなくてはならない存在。旅の斡旋、そして医療通訳。西洋美術史の知識に長けている彼女の話も魅力的だ。夕方になったら畑をのぞむテラスで「今年の庭の野菜はどう?」などと質問しながら話は弾む。水車小屋のことパン焼きのこと、庭の窯のこと、そして今夜アントネッロがつくってくれるおいしいメニューの話など、イタリアの美味しい話はなぜにどうして主題となり、出会いにミラクルが起こったりするのだろう。


あるSNSにつづった旅のメモ。

「旅をする理由がある。その理由が年々わかってくる。人という点をつなげると形になる。実際に顔を合わせ瞳をみると潜んでいるミラクルが起こる」

すると友人たちからとてもすてきな反応がいくつも返ってきた。

「動けない人にとっては旅人を迎えることで旅の一部になって旅をしてる気になれる」

「ミラクルが次の旅の原動力になりますね」

「旅をするたびに身体も元気になっていく」

「さらに人生を一つの旅と考えたら、日々の生活は終点に向かう旅の過程。形としての旅が終わっても、まだまだ先は続くね」


土鍋を抱えた旅は、文字にならないほどカラダはボロボロだけど。人に出会い、人から言葉をもらい、急速に筋肉痛は解消していくものなのだ。

(次回は千穂さんの硬いパンづくりを少しだけご紹介予定)



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