「旅する土鍋 リトアニア③」東欧の歴史とスープに想う
1.「宗」と「史」
前回は、宗教と食、工芸は切り離せないということを書いたが、さらには統治や戦争、人種問題など歴史的な事柄も根強く食や工芸に残っているということ。今回の訪欧では、歴史、宗教において、はるかに勉強不足を感じた。食と工芸を結びつけた仕事をするには、まだまだ知り得るべきことがたくさんある。知りたいことが倍増し、さらなる興味と好奇心が広がったことは、旅する土鍋リトアニアとポーランド視察の道に感謝している。
2.「創造」と「想像」
わたし自身、なぜ創造と想像の仕事に携わってきているのか。
旅に出ると、その度ごとに答えがひとつずつ明確になる。知名を売ることがゴールでない。食べることを受けるうつわを、背景ごと追究したいのだ。
写真 Gruziniška charčio sriuba
(グルジア風ハルチョ)
雪の降る中で食べた大きな銅鍋のスープ。凍える寒さの中で、その酸っぱさは、頬のリンパ腺あたりに沁みた。
ハルチョは牛や羊肉のスープ。トマトベースのスープにプラムソースが入っているから酸っぱい。コリアンダーが入っているような香りもする。
3.「覚」と「手」
文化の背景には、目覚と人の手がある。リトアニアには重い政圧からの2つの独立記念日という背景があるのだ。
1回目の国家再建(ドイツ占領下にあった第1次大戦後)は1918年2月16日。リトアニア王国として国家再建を果たすが短命で、1940年にはソ連に併合された。
2回目の独立回復は1989年(ベルリンの壁崩壊の年)。ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国で起こった「人間の鎖」(リトアニアをはじめバルト三国の人々が南北に鎖のように手をつなぎ訴えた独立運動)は、歴史的に有名な独立運動である。翌年1990年議会選挙で独立運動を指導した政治組織が勝利。同年3月11日に晴れて独立回復を宣言。しかしソ連邦は否認し経済封鎖などを続行。さらに1991年ソ連政府は独立の動きをみせるバルト三国に対し軍事的圧力をかけるようになり「流血の一月」を迎える。「ロシア共和国」と改称して主権宣言を行ったが、クーデターの失敗などによりソ連邦の崩壊が始まる。ウクライナ、グルジアなども相次いで独立を宣言。1991年9月6日リトアニアなどバルト三国の独立が承認された。
今回訪れたリトアニアのカジューカス祭(16世紀の君主/守護者の命日)では、リトアニア伝統料理にならび、隣国の伝統料理が楽しめる。
近年、日本でも東欧の料理レシピがカジュアルに紹介されるようになったが、味覚というのは、深い歴史や宗教を知れば知るほど、さらに深みを増す。祭りの市に並ぶ伝統工芸品手づくりも同様だ。
辛い歴史の中でも、工夫をこらした食文化や工芸が生まれている。目覚め、味覚は喜びだ。
ロシア系、ポーランド系、両者が交差するリトアニア。リトアニア語と同じくらいの割合でロシア語が表記され、耳には両国の言葉が聞こえる。対敵であった国が、いまは文化を並べている。
観光客相手のレストランメニューに英語表記があるくらいで、観光客を呼ぼうとしている祭でもいまだ英語表記は少なく、英語で買い物しようとすると「NO NO」と眉をひそめる職人が多い。素朴でぼくとつではあるが、とてもやさしい目をしていた。親や親戚の商売を補うように次世代である20代、30代の若者が英語を話す。
某記事で、愛国心の発露、自発的な志願などの記事を読んだ。2014年、ウクライナ紛争をうけロシアへの警戒を強めたリトアニア政府は、自衛のための徴兵制を再導入(参照記事)したという。
それから数年経ったいま、その若者たちに国防意識の変化を願いつつ、国境や人種を超えた平和を願うばかり。
最後に、リトアニアのヴィリニュス大学生の貴重な記事に感銘したので、ぜひお時間あれば。⇒筑波大学Ge-NIS「リトアニア人とはどんな人たちですか?」
※冒頭に書いたとおり、宗教、歴史の専門知識を持ち合わせていない残念から、訂正などがありましたらご指摘くだされば幸いです。