サカナクション アダプト TOUR
サカナクションのアダプトTOUR、初日の愛知(2021.12.11)と大阪1日目(12.21)に参戦したので、感想レポを書きました。今回はライブ前半部分の第一幕(勝手に命名)のみ記載しています。
ネタバレ満載なので、参戦前の方はご注意を。
また、かなり個人的な意見かつ記憶が曖昧な箇所が多々あり、事実と異なる解釈などしてしまっているかもしれません(特に後半は踊るのに夢中で観察忘れてました…メモ持って行けばよかった….)。
もし、読んでて「そこの演出違うよー!」などありましたらTwitter(@usaco_to) のほうでご指摘ください🙇♀️
以下、ネタバレあり。
0.opening
波の音。真夜中の大海原を照らすような灯り。
アダプトタワーが、まるで灯台のように海上を照らす。その光は、大きな円を描きながら、わたしたちを新たな世界へと導く。
オンラインライブでは、カメラがタワー内部の階段を上がり通路を追う様子が映し出されていたが、実際のライブでは、深く濃く焚かれたスモックの奥から、タワーそのものの外観がじっとりと姿を表し、それはまるで漂流した船のような、はたまた廃墟となった建物のような奇妙さを孕んでいる。
ブルーライトで照らし出された客席は、メッシュバックのオレンジをありありと浮かび上がらせ、その様子はまるで遭難者への救命浮輪を投げかけているようだ。
怪しげな、どこか不安さえも感じるこの雰囲気は、山口一郎がアンコールで話していたコロナ禍という未曾有の時代に、我々がアダプト-適応-していかなければならない、すなわち新しい世界の幕開けを表しているようだ。
一筋の光が指し、わたしたちを照らす。一曲目のイントロが聴こえてくる。
(愛知では、オープニングの演出は割と明るかった印象だったが、大阪はかなり暗さを保っており、それがまた先の見えない怪しさを醸し出していた)
1.multiple exposure
アダプトタワーの内部から、波のうねりのような青い光が注ぐ。深海のような光がバンドを包み込み、やがて天井から光の糸が差し込む。水面へと浮上していることを知らせるその糸は、やがて束になりわたしたちを深海から掬い上げ、水面に出て初めて深呼吸をした時の感覚を思い出させる。客席に向けて重なり合う強く優しい光。それらはこれからの旅が決して怖くはない、大丈夫だと強く信じさせてくれる。
曲名にもあるように、重なり合う音と光の演出がシンクロし、それはまるで蜃気楼のようにも見える。
そう生きづらい そう生きづらい そう言い切れない僕らは迷った鳥 そう生きづらい そう生きづらいから祈った 祈った
コロナ禍で傷ついた心をゆっくり溶かすような詞に涙する。
2.キャラバン
キーボードが高らかになり、あのイントロが聴こえてくる。それは船の汽笛のような知らせ。海から陸へ、異国の地へ降りたかのような、はたまたどこか懐かしい昭和歌謡的な雰囲気を漂わせている。強めのエコーが当てられ初見ではほぼ何を言っているのか聴き取れない歌詞、それも狙いか。ガラスケースに閉じ込められた演者がモニターに映し出される。その表情は不安、困惑、焦り、混乱。怪しげなメロディラインの中にも心地よいギターのカッティングが軽やかさを感じさせる。ステージ上にいきなり演者を出す前に、モニターでクローズアップすることで観客が自然と演技に入り込める工夫がなされていると感じる。
それまで青中心だったライティングからサビになるとパープル、ピンクが追加され、ブルーとのグラデーションが美しい。サカナクションってグレー×パープルがこんなに似合うバンドだったのね…。
心地よい横揺れに自然と緊張が解け、音に身を委ねる快感を思い出す。
3.なんてったって春
赤と白のエッジの効いた照明がタワー天井から垂直に降り注ぎビートを掻き立てる。足が自然とリズムをとる。というかここでなんてったって春やるの尖りすぎてない?好き
後ろを振り向くとPA席で照明を操作しながら身体を前後に動かしノリノリの平山さん発見。この辺りから三田さんや根本さんもPA付近に居た気がする。スタッフも仕事をしながら音楽にノっている。その姿を見てこちらもさらにノる。
予算の関係か法律的な事情か、大阪城では照明器具の設置がほぼアリーナ前半分のため、ミニマルな曲では会場一帯を光が包むと言うよりは、前方で行われている演出を後方から遠巻きに観賞している感覚。全体を把握できるので後方席でも十分楽しむことができる。
大サビに向けて垂直だったライトが斜めに傾き連続的にステージを照らし、スピード感を煽る。愛知よりもかなり赤がはっきりした印象があり、よりモードな雰囲気を強めている。初日は少し音が丸かったドラムもパキッとクリアになった印象(一郎さんと姐さん曰く、大阪城ホールは音の跳ね返りが少ないため操作しやすい、エッジの効いた音になるそうだ)。
4.スローモーション
スローモーションのイントロが始まる瞬間にピカっ!と照明が正され、冷たい冬の世界へと誘われる。アリーナ前方から雪が降り注ぎ、演者が登場し傘をさす。そこにあるのは良い違和感で、誰かの記憶の中の映像を見ているような気持ちになる。俯きながら歩く演者の仕草から、狭間で揺れるスローな思考が読み取れる。「だんだん減るだんだん減るだんだん減る未来」の数字の演出は流石。ラストに向けて会場のボルテージは上昇し、観客はライブの感覚を取り戻す。
スローに降り注いだ雪は曲終わりにアリーナ最後列まで届き、掴もうともがけばもがくほど消えていく。それはまるで雪のよう。
5.『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』
なんてったって春からのバッハへの繋ぎ。これぞサカナクションの真骨頂。オンラインライブではここは一旦暗転し静音になっていたが、ツアーでは曲間のアレンジが神がかっていた。サカナクションのライブはアンコールまでMCがなく、さらに曲がほぼ途切れなく続いていて、踊りの熱量を一体に保ったまま楽しむことができる。
気付いたら魔法にかかっている。バッハは魔法のような曲だといつも思う。イントロが始まるとMVを模した映像がモニターに映し出される。ステージ向かって左上の小部屋にはこれもまたMV同様にテレビを観ている演者。わたしたちが今見ているモニターの中に映し出されているのは、目の前で起こっているリアルだとわかっているのに脳が混乱する。
Aメロが始まると手が勝手に動き出す。サビまで待てない。早く踊りたいあの振りを!聴いたせいですこんな心。
そしてレーザーエグいです。今まで体験した平山さんのレーザーで一番エグいのでは?PA前っていつもこんななんですか??頭の上にブーメラン飛んできたかと思った。
6.月の椀
ここでモノトーンのオイルアートが追加されていたような?記憶が曖昧。今までのオイルアートはオイルそのものの素材を映し出したバブル感が強かったが、今回の演出では黒い背景にオイルの縁を白い線で囲った表現がなされ、モノトーンを際立たせていた(表現むずい)。
一郎さん移動のため少し暗転。Aメロ始まり手拍子しようか迷うが勇気を出せず。一郎さんの「クラップ!」の煽りで手拍子が始まる。これは初日もそうだったので、今後自然にクラップが始まる流れになるのかな…など期待(魚民のクラップは統制がとれている)。ウォーキングマシーンを歩く一郎さんのリズムが曲とズレるのでどうやってリズムとってるのか不思議。背景の映像、京都のあの橋移ってますよね…?
図らずも会場出たら大きな満月で思わず「月の椀」(すみませんこのあたりから楽しみすぎて記憶が抜けています、でも初日から変更されてた演出いろいろあった気がする!)。
7.ティーンエイジ
赤のレーザーがネットのように降り注ぎステージを包み込む。それは繊細な思春期の心模様を表しているような儚さで、曲が盛り上がるにつれてその光は消えかけてゆく。愛知よりも赤いレーザーが長く濃く存在していたようにも思う。もう少し長く見ていたい演出。
曲の1番の盛り上がりの部分では川床さんの迫真の演技がバンドサウンドとシンクロしカオスを作り上げている。最後に浮かべる不敵の笑みが恐ろしい。
この曲だったかな?グレーにパープルとブルーを混ぜたようなレーザーがあったのは。もはや絵の具の如き照明よ。一つのライトから複数の色がグラデーションになって出てるのよ。どーなっているの??
8.壁
暗転。暗闇ライブの時みたいに、非常誘導灯やPAの灯り全てを消灯させてほしいと思ってしまうほどの引き込まれ具合。そういえば、愛知の時はタワー上階向かって右のカメラマンのモニターが目立っていたが、それが無くなっていたように思う(というかカメラマンさんとその足場がなくなっていた気がする。たしかにそのほうがステージ上の演者だけに集中できる。ステージ上のカメラがない分、演者の細かな表情が捉えにくいかと思ったがそこまで気にならなかった)。
自死のことを歌った曲とのことだが、なぜ「ぼくは壁」なのか毎回考える。
ブロックの演出は、自分が今見ている演者が見ているモニターをモニターで見るという大混乱。というかこの演出、愛知もこの曲だったかな…?オンラインでは雑踏だったな。愛知の時はティーンエイジでやったんだったかな…?この曲の時は川床さんはけてた気がする(この曲のコンセプトを考えると確かにステージ上に演者がいないことでそれを表しているのかな、と愛知の時は解釈した気がするが違ったら大変失礼)。いずれにせよ、演出が変更されていたと思う。あと、最後の「僕が覚悟を決めたのは庭の花が咲く頃」も、愛知の時は歌ったかな?かなりカットされて短縮されていたような…(記憶が曖昧ですみません)。
個人的には花が伸びて枯れていく映像をもう一度見たい。
9.目が明く藍色
なぜかこの曲を聴くとホッとする。決して明るい歌ではないはずなのに。哀しみの中にある僅かな希望。儚くて今にも消え入りそうな、しかし強く眩しい光。光はライターの光、つまりは単純な光。哀しみの淵から這い上がり、動き出す勇気をくれる曲。
開演前に抱いていた緊張感はどこかへ行き、気づけばチームサカナクションの世界に潜り込んでいる。ザッキーの荒ぶるシンセと平山さんの操るレーザーがシンクロして360℃振り回されている感覚。照明エグいて!!(惚)
声が出せないライブで「君の声を聴かせてよ」なんて歌われたら泣いちゃいますよ。
あぁ、第一幕(勝手に命名)が終わってしまう。openingでは暗闇の中に一筋の光を照らしていたアダプトタワーが、全身に光を纏い会場を明るく照らす。タワーそのものが希望の光だ。大海原に投げ出され、漂流した船はどこに辿り着いたのか。その答えはこの曲が教えてくれる。僕はゆく。ゆくんだ。
前半のあとがき
今回のライブ、前半部分は物語性のある構成になっている。インスタライブを見ずロジカルな前情報なしで参戦したわたしには、本来のコンセプトや隠された様々な仕掛けはわからない。
大阪のMCを聞くまでは、第一幕は「モラトリアム」(主に山口一郎が名古屋で暮らしていた頃の)を表しているのかな?と思った。先の見えない未来に不安を抱き、時間だけが消費されていく。そんな孤独感をスローモーションが象徴している第一章だと感じた。
大阪のMCで一郎さんは、私たちの日常が2年前とは大きく変わってしまったこと、そして日常が元に戻ることではなく変容した日常にわたしたち自身がアダプト-適応-していく必要性があることを説いていた。さらに適応した後にはアプライ-応用-が待っていると。この状況をただ嘆くのではなく、むしろプラスな思考に転換し、この状況さえも新たなチャレンジに繋げていこうという試みが垣間見えたライブだった。
チームサカナクションはコロナ禍という未曾有の時代に新たな音楽表現を模索し、従来通りのライブをやっても今まで以上の新しい感動を与えられないだろうと敢えて前衛的なチャレンジに今回挑戦したとも一郎さんは話していた。約2年の生ライブ休止期間を経て、しかもコロナが快方に向かったとは未だ言い切れない中で、観客の前に立つだけでも相当なプレッシャーであっただろう。そこで客の期待するレベルを超えた新しい体験を提供しようとするその勇気、いや、狂気に感服である。
コロナだけでなく、絶望の淵に立たされるような出来事は、これまでもこれからもわたしたち一人一人の日常を襲うだろう。そんな時、わたしたちはその状況にアダプトできるだろうか?
彼ら彼女らの音楽を聴けば、きっとまた前を向いて歩き出すことができるだろう。
たまお
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