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第3回たまのり!活動報告 姫路編

お久しぶりです。たまのり!でございます!今回は夏休み分の報告する街のうち、一番大きい街、姫路です!

姫路データ

所在 兵庫県姫路市
人口 530495人(令和2年時点)
気候 瀬戸内気候
地形 川が海に流れ出る平地
地名の由来 播磨国風土記にみられる日女道(ひめじ)丘。
街の由来 城下町
おもな産業 鉄鋼業、電気器械器具製造業
主要品目 エビ、カニ類
出身有名人 黒田官兵衛孝高

大化の改新の後、播磨国の国府が置かれ、播磨の中心となる。鎌倉時代後期に入ると、赤松則村が丘に砦を築く。これがのちの姫路城である。嘉吉の乱で城を失い山名氏が入るものの、応仁の乱で奪還。織田氏に滅ぼされるまで、赤松氏の一拠点として機能。織田氏侵攻後は羽柴秀吉の影響下となり、関ケ原の戦いまで秀吉の親族、木下家定が治める。関ケ原後は池田輝政が入り、現在の天守が築かれる。その後は、松平、本田、榊原など、徳川に近しい者が城主となり、姫路を治める。江戸時代は革細工、鎖、高砂染などが盛んだった。明治維新後は陸軍の拠点として、宿場として発展した。臨海地域では重工業が発達。太平洋戦争では空襲を2度受け、街は焼けてしまったが、戦後に城下町時代の狭い道を広くし、商店街を形成することにより活気を取り戻し、現在のような街が形成された。また、播磨臨海地域での中心的役割も増した。

姫路城天守から駅へ、その奥には工業地帯の塔がうっすらと見える

主要駅 姫路駅

姫路駅 駅名標


5面13線
山陽新幹線途中駅、山陽本線途中駅、播但線始発駅、姫新線始発駅
JR西日本直営駅
1888年開業
山陽新幹線は上下ともに時間帯にばらつきはあるものの、平均毎時3本以上。山陽本線は上下ともに快速、新快速が多く、時間帯によって変わってくるが、もはや困らないくらいの本数。播但線は毎時2本、通勤通学時間帯は+1、2本。姫新線も同じく、毎時2本、通勤通学時間帯は+1本程度。
新幹線、その他特急も止まり、多くの路線が乗り入れる一大ターミナル駅となっている。北口は出るとまっすぐ先に姫路城が見え、近代化しているものの城下町のが並ぶ。南口は臨海工業地帯に続いており、途中には市役所がある。また、飾磨まで山陽電車が並列して走行している。

9月5日訪問。
4日の夜に宿泊、朝からレンタサイクルで移動。姫路城を開場すぐに入城したが、観光客は多く、特に外国人が多くみられました。また、小学生が社会科見学に来ていました。そのため天守は人であふれ、平日とは思えない活気がありました。城を出た後は庭園や県立歴史博物館を訪問。意外なのは、県の歴史を展示する博物館が県庁所在地の神戸ではなく姫路である点でしょう。多くの都道府県では県庁所在地にあることが多いので、姫路という街は歴史的な街として重要視されているのではないかなと考えました。商店街を軽く見た後、南の工業地帯へ漕ぎだしました。工業地帯はたくさんの工場が並んでおり、あまりこういう光景を見ない私にとっては「すっげえ機械~」と口ポカーンでした。市街地、工業地帯から離れ、播磨国分寺へ。その途中では田園が広がっており、自転車をこいでて気持ちよかったです。国分寺は国道2号線沿いにひっそりとあり、周りは住宅地であったため、そこだけ歴史が止まっているようでした。姫路と言えばお城!のイメージが強いですが、実はそこ以外にも魅力がある、再発見の余地はたくさんある、そんな姫路、行って見てはいかがでしょうか。

訪問施設
姫路城
好古園
兵庫県立博物館
妻鹿城
御着城
播磨国分寺


夜景に弱いスマホカメラでした、次はもうちょいがんばります。
歴史博物館。城の内部にある
これ、姫路です。緑が美しい
播磨国分寺

第3回レポートはここまで!第2回からの時間が空きすいません。中の人は最近別の所属団体が忙しく、本番に向けての強化練習が増えており…と言い訳を並べておきます。さて、春休みにあちこちに行く資金が確保できそうにないため、早く部員を集めないと投稿が止まっちまう…という危機感を抱いております。部員、引き続き募集しています。拡散もお願いしたい次第です。ここまでのご精読ありがとうございました。
P.S. サムネイルの写真、教科書みたいだよね、でも私がとったんだぜ。

訪問・執筆:つだ


今回のおまけ:安売り自販機はそこそこ見てきたが、当たり付きははじめてだなあ

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