「龍祥山 勝國寺」吉良家の菩提寺 「横浜市蒔田」
今回は、戦国時代に武蔵世田谷を領した、吉良氏の「蒔田城跡」と菩提寺の「勝国寺」を巡りました。
前回、世田谷の「豪徳寺」と「世田谷八幡宮」を訪れたのをきっかけに
世田谷吉良氏を調べ、横浜にも蒔田城があることを知りました。
さらに友人と会う約束が偶然にも蒔田であったことで、
ご縁を感じた次第です。
撮影した写真をベースにご紹介していきたいと思います。
横浜市南区蒔田、横浜市営地下鉄から徒歩5分、「蒔田の森公園」は
吉良頼康の居城があった地です、公園一帯も城址の一部となっているようです。
赤穂浪士、忠臣蔵で有名な吉良義央は三河吉良氏で本家にあたり
ここ蒔田御所の吉良氏は分家にあたります。
足利にルーツを持ち8代にわたって世田谷を支配した名門一族
1479年頃、父頼高の供養の為、政忠により創建されたという吉良氏の菩提寺
奥州(吉良氏)を振り返る 歴史学習ページ
世田谷吉良は、足利義氏の三男、義継を家祖としている。
吉良東条(西尾市吉良町)を本拠地として発展。
東条吉良氏菩提寺「華蔵寺」「花岳寺」
そこから五代、治家から世田谷に領地をもつことになったようだ。
中野区上高田「東光寺」は1365年頃に息子の菩提寺として建てたという。
世田谷吉良氏の居館・本拠地は世田谷区「豪徳寺」や「世田谷八幡宮」は世田谷城の主要分にあたる。
治家から数え4代目、政忠は蒔田の勝国寺だけでなく、豪徳寺の前身、高徳院を伯母の弘徳院の為に庵を結んだ。
5代目成高、そして6代目頼康で世田谷蒔田に城を持つ、彼は北条氏綱の娘婿となった。さらに同族の今川から氏朝を養子に迎える。
この氏朝によって中興された世田谷区桜「勝光院」には世田谷城の本尊であった「千手観音菩薩坐像」、家臣寄進の虚空蔵菩薩等を収蔵している
吉良歴代の墓もあるそうだ。
世田谷区弦巻にある「実相院」は勝光院の末寺とされ
小田原征伐により北条氏が滅亡後、一時吉良家は下総に逃れる。
徳川家康入府後、吉良氏朝は世田谷に戻り、頼康は実相院で隠居したという。
赤穂事件によって本家の三河吉良氏が断絶したため、1770年
吉良氏の姓を名乗るようになる。それまでは「蒔田」だったのだろうか
世田谷吉良氏にまつわる寺院をいくつか調べた。
また時系列や調べたことが間違っているかもしれないが、自分なりにかなり深く調べることができたように思う。
このリサーチのあとは、地道にフィールドワークするのも楽しそうだ
より理解や学習も深められるように思う。
日々、学習。