ピアノと塗装
古いピアノを探すことが多い。
私がまったく理解出来ないのは、再塗装していないピアノは中々売れないという事実である。そしてそれは5,6百万するスタインウェイなどの「高級」ピアノになるほど目立つ傾向にある。当然再塗装の分価格も上がる。
楽器を正面から論じるのはもう何度もしたし、繰り返したところで詰まらないから、今日はまったく違う処から書いてみよう。
皇居の宮殿が新宮殿と呼ばれていた頃のこと。建設中の銅葺きの屋根は当然ピカピカだった。宮内庁の担当部所には何という悪趣味だと抗議の声が絶えなかったらしい。
緑青が全体を覆うようになるまでは我慢して下さいと説明に追われたそうである。
奈良の薬師寺は東塔だけが残っていたのを西塔、講堂などを西岡常一さんの指揮のもと再建し、西岡さん亡き後も現在に至るまで作業は続いている。
東塔は現在解体修理中だが、千数百年風雨に晒された古寺特有の佇まいの周りに赤や緑鮮やかな再建された御堂があるのは成る程ちょっとした違和感を感じるのもやむを得まい。
しかし奈良の昔はこうした極彩色があちらこちらに見られたのである。でもそうした知識は目からの印象を拭い去るようには働かない。
私たちはこうして、史実に反してでも歳月に洗われた美しさを感受するようになった。これはまた、日本人特有なことではない。恐らく人類に共通した感情ではあるまいか。
それがどうだ、ことピアノになった途端、ピカピカに磨き上げたものでないと売れないのである。音に魅せられてと感激して買ったにもかかわらず、小さな塗装のキズを発見して返品を要求する人さえいるという。
高級ピアノを買うからにはきっと審美眼とやらを何より大切にしている方々なのだろう。
私は常々思っているのだが、部屋の中に真っ黒に光っているピアノが鎮座ましましているのは何とも暑苦しい。
もちろんそれは仕方がないのだから、せめて歳月に洗われくすみを帯びた楽器、どこの誰がつけたかも分からぬ擦り傷などから一種独特な美しさを感じるくらいにはなって貰いたいと言いたくもなる。
古民具の美しさにも触れておこうか。車箪笥や刀箪笥の美しさは木目と金具の織りなす調和だが、ピカピカに磨き上げ傷ひとつ無いようにしたものを買う人はいない。
ピアノを家具として扱えと主張しているのでは無論ない。しかし古いピアノを買うのは安いからだけではあるまい。音に歴史があるように、塗装にも歳月は刻まれているのだ。それを慈しんだら如何だろう。
音楽に携わる人は半ば義務のように絵について語る。でもこんな所でお里が知れる。そう私は思っている。
ピカピカしか売れないというのは、しかし奇妙なことにピアノに限られるようなのである。
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